1990 ネパールトレッキング三昧の旅 ①

1990年。この年の初めから派遣社員になり、あちこちに出向いてはワープロを打っていた。最初は特許事務所だった。ここは数日でクビになった。表計算ができなかったので。文字は打てたが「応用編」みたいなものはまだまだダメだった。
次に行ったのがソニー。ここでは社員たちの業務はあまりに専門的すぎて手伝うわけにいかず、上司である課長さんから仕事が出てこない限り暇、課長さんはめったに席にいない(^^; 正直、オアシスビジネスワープロの応用的な技術の大半は、ここで独学で学んだ。今では何の役にも立たないが。
ソニーで3か月クール、すぐ次に行った先が縁故者しか採用しないややこしい小さな印刷屋で人間関係が難しく、担当に頼んで再度ソニーに3か月行くことになった。この時はたしか半年の契約だったのが、ギリになって3か月でということになり、あららと思ったのが9月だった。
派遣という働き方が認知され始めたごく初期の頃で、今は大企業のパソナが、テンポラリースタッフという名前だった頃の話だ。ソニーにはすごく賢い人々の集団であるアーサー&アンダーセンからの派遣の人たちも多く、残業が月に200時間なんて話も普通に聞いていた気がする。

そうそう、前年に中国の大理で買った藍染だが、この年にフリーマーケットに何度か出店し、そこそこ売った。旅の仲間が手伝いに来てくれたりするので、時間が来ると片付けて飲みに行ってしまい、お金はそこに消えて行って残念ながら旅の資金にはできなかったと思う。
まったく関係ないが、6月頃に自分のワープロを新調したらしいが、16万円とメモしてあった。今のパソコンの値段と比べれば隔世の感がある。

で、派遣の期間が切れたので、旅に出ることにした。
ちょうど大学の同級生が仕事を辞めてちょっと遊びたいというので、一緒に出掛けることにした。行く先はネパール。今度こそのエベレスト街道をめざすことにした。

9/21に契約が終了し、9/25には香港に飛んでいる。なかなかフットワークが軽い。
9月には黄熱病の予防接種を受けている。

9/25 成田→香港 香港では88年の中国で会った人に再会し泊めてもらった
9/28 香港→ダッカ→カトマンズ 航空券3450HK$
10/7 ~ 10/23 エベレスト街道トレッキング
11/3 ~ 11/13 ランタン谷トレッキング
12/4 カトマンズ→バンコク
12/11 バンコク→成田

成田で落ち合った友人は、ものすごく大きなザックを背負っていた。持たせてもらうと岩のように重い。いったい何が入っているのか……、興味深かった。その後あちこちで覗いてはみたが、特に重そうなものは見当たらず、総量で重かったという感じだった。
その頃流行り始めていたトラベルバッグ、背負えるトランクみたいな感じの四角いやつだった。外側にもポケット(もちろんジッパー付き)があり、そこにフィルムだったかな、入れていたそうなのだが、香港から経由したダッカでどうやら抜かれたらしく(><)、かわいそうだった。まぁフィルムくらいだったらどこでも買えるから大丈夫だけど。

香港滞在中には落馬洲の国境展望台に行っている。
国境展望台!
そんなものがあった時代があったのだ。

 

カトマンズ

88年秋、89年の春に続いてのカトマンズ。だいぶ町にも慣れた。タメル地区で泊り、歩いて行ける範囲にあちこち行きながらトレッキングの準備を進めた。絶対にしなければいけないのが許可証の取得。それが取れたらチケットの手配。
特に急ぐ理由もないので、のんびりそんなことをやっていた。あとは写真を並べる。

カトマンズの中心ダルバール広場
クマリの館の近くだったかな
サイクル力車が多かった
アサントーレだったと思うがお土産屋
小さな仏塔は至る所にある
アサントーレだと思う
パタンだったかと
タメルだと思う。突き当りがカトマンズゲストハウスかその逆か
タメル。書店がある通りのように見える
ダルバール広場
許可証を出してもらうところ。以前はかなり遠くにあったがタメルの近くに移転していた

次回からいよいよ山に入ります。

カトマンズでは、今はもうないかもしれないシダルタ・ゲストハウスに宿泊。数年にわたってここを定宿にしていた。この時の宿代は150RS、1ルピーはうろ覚えだが5円くらいだったかと思う。
エベレスト街道のある国立公園の許可証が360RSだったようだ。