エベレスト街道3 タンボチェ~ペリチェ

1990年秋のトレッキング記録です

寝不足と頭痛とダニにやられる

タンボチェでも眠れず、3日続けてほぼ完徹状態。おまけに虫に刺されて泣きっ面に蜂とはこのこと。頭痛もあり、停滞することに。

ゴンパ横のバッティ

意味なさそうだけど虫干し中

午後になって頭痛が酷くなってきた。これは困った。
高度障害が出てきた場合、やれることは一つだけ。高度を下げる。
しかしここタンボチェでは、下がると言えば谷底のプンキタンまで600下がることになる。下がったらまた登り返さないとここに戻れない。
それは避けたい……。

地図を見てみると、この先、進む方向に一つ小さな集落があり、そこはタンボチェよりも100下がる。100下がることを高度障害の善後策と出来るのかどうなのかわからないが、賭けてみることにした。高度障害だけではない可能性もある。そもそも不眠だし。

ということでパッキングして、急遽出発。
樹林の中をゆるゆると下がったところに、デボチェという集落があった。
戸数はほんの数軒。
その中の1軒の民家に泊めてもらうことになった。

こんな感じの場所だった

これがその泊まった家かどうかは定かではなく、違う可能性が高い。この半分くらいの小さな民家だった。建物の中は仕切りも何もないがらんどうで、半分くらいが土間、半分が小上がりの板敷になっていた。家の人も我々もそこで雑魚寝する。土間には竈が作ってあり、そこで木っ端やヤクの糞などを燃やして料理をしていた。
住人は30~40代くらいの夫婦とその娘たち2人、息子1人。子供たちはまだ全員小学生くらいだったと思う。それにおばあさんが1人いた。

この家の女主人は尼さんだった。尼さんでも結婚して子供を持つのか、それが普通なのかそうでないのかはよくわからない。とにかく尼さんとその旦那さんが夕方から夜にかけてずーっと経典を唱えていた。蝋燭かオイルランプの小さな灯で、長い長い時間その声が聞こえていた。それを聞きながら眠ってしまった。

日記によれば、この夜はよく眠った。
夜の10時半にトイレのため外に出ると、満天の星だった。
さらに深夜、もう一度トイレに出た。高度障害を軽くするために大量のお茶を飲んでいるのでトイレが近くなる。建物から少し離れたところで用を足して戻って来た時、軒下のような場所に何かが転がっているのに気が付いた。ヘッドランプを少し手で覆ってそちらに向けてみると、寝袋が2つ。翌朝その2つの寝袋からは西洋人が出てきていてお茶を飲んでいた。タンボチェを目指していたが夜も遅くなってしまい、この家も寝静まっていたので、軒先で野宿したそうだった。
……遅くなり過ぎだわ。

翌日も停滞した。風邪気味だったようで、薬を飲んで日中もうとうとしていたようだ。
夕方、家の外に出てみると、陽だまりにおばあさんがぺたりと座り込み、何か作業をしている。近づいてみると、茣蓙の上に小さなじゃがいもがたくさん並んでおり、彼女はそれを手のひらで叩き潰しながら干しているのだった。じゃがいもはもちろん茹でてある。すぐ近くで宿の主人が大きな釜で茹でていた。
丸のまま干したのではいつまでも干せないのだろう。叩いて潰せば表面積が広がり、早く干せそうだ。凍結乾燥になるのだと思う。そのあたりでも夜は気温が下がって氷点下と思われた。
私が見ていると、おばあさんがひょいっとじゃがいもを放ってくれる。食べてみるとこれが実に美味しい。小粒だが滋味深い味だ。私がぺろっと食べると笑いながらまたひょいっ。ぺろっ、ひょいっ。私も叩き潰すのを手伝い、辺りが薄暗くなる頃には作業もすっかり終わった。

この夜もよく眠り、体調は回復した。

パンボチェへ 10/12

9時ごろにゆっくり出発。今日はそう遠くないパンボチェまでだ。

風が強く雲が流れる

エベレスト方向がよく見える

樹林がなくなり始めた

ストゥーパを見送ってパンボチェ村に入る

パンボチェ到着。
この日は日記も殆ど書いていないのだが、

「ダルバートが究極のダルバート」

と書かれ、ご飯の上にダルがかかっている絵が描いてあった。
ダルバートはネパールの定食と言っていい。ダル(ごはん)バート(豆のスープ)、そして通常は何らかのおかず(野菜のカリーなど)2つか3つ、それにアチャール(漬物)が付く。それがおかずも何もなく完全なダルとバートだったので面白かったのだろう。
そういえばこの時、どこでだったか忘れたがフライドライスを頼んだら、「希望通りご飯を塩で炒めましたが何か」、と言わんばかりのものが出てきて、さすがに苦笑した。もしかしたらこの宿での昼飯と晩飯だったのかもしれない。

ペリチェへ 10/13

パンボチェが3930m、そして向かうペリチェは4240mと、ついに4000mを越えてくる。私たちの顔は既に浮腫みはじめていて、よく見ると手も浮腫んで大きくなっている。

できるだけゆっくりと標高を上げていく。最初は灌木の茂る道を行き、やがて森林限界を超えて荒涼とした風景が広がる高台に出る。上からシェルパ二(シェルパ族の女性)がものすごい勢いで下りてきた。彼女は疾風のようにすれ違ってそのまま下り、その後ろから西洋人の男性陣が数名、足をもつれさせながら必死について行っていた。シェルパ二はガイドなのだろう。何か怒らせるようなことを男たちが言ったのかもしれない。あっという間に全員が視界から消えた。

谷の向こうに聳えるアマダブラム

この谷を逸れ、ペリチェへの高台に上がる。

風景が一変する

畑のようなものが見えるが、その近くにペリチェがあったと思う

ペリチェに到着。
建物がほんの数軒。その中の1軒に泊めてもらう。女主人にトイレの場所を訊く。

ふぇあいずといれっと?

・・・・・・えっっっっっっぶりふぇあ!

はいーーーーーー!

と、この頃はそんな感じだった。

ペリチェには診療所がある。ここへ来てだいぶしんどくなった友人が行ってみた。たしか薬をもらってきたはずだ。ダイアモックスかな。今は当たり前にこれを準備してトレッキングに入る人が多いと思うが、この頃はまだそんなに広く知られてはいなかったと思う。私たちもカトマンズでは購入しなかったように思う。

夕方、雪が降って来た

 

 

 

 

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