エベレスト街道6・トゥクラからロブチェ

1990年秋のネパールトレッキング記録です
旅の直後に書いたものが出てきたのでそちらメインでいきます

ロブチェへの道

トゥクラ出発、後ろに小屋が見える

 

斜面の下にトゥクラの小屋が見える

雪の反射がまぶしい快晴のスタートだった。

雪の上にルートが出来ている

集落を出てすぐの坂を登って行くと、途中の鞍部にたくさんのケルンが並ぶ場所に出る。山で亡くなった人たちの慰霊碑だ。

 

モノクロで撮ってみた遭難碑のあたり
ケルンが見える

その横を通り過ぎるとようやく登りが終わり、少し下った後はゆるい登りの川原歩きになる。ヤクを連れたキャラバンが通った後なので、雪の上に道がくっきりとつき、今日は迷う心配もない。

行く手にプモリが見える

 

こんなところをゆっくりと高度を上げていく

※ ケルンも含め雪のない写真は帰路に撮っていると思う。

途中何度か水を補給する休憩を取り、小川を渡り、ゆっくり歩き続けて正午にはロブチェが見えた。

ロブチェが見えてきた。真ん中左の方、ちょっと建物らしきものが

天候は急速に悪化してきていた。谷に沿って雲が流れ登っており、ロブチェに着く頃はあたりは随分暗かった。集落のすぐ近くで、ヤクが草をはんでいた。昨日の雪は午前中晴れたおかげで大分減ってはいたが、日陰はまだ10cm強の積雪だ。川の水もところどころ氷結している。さすがに冷え込みもきついようだ。
ロブチェの標高は4910m。いよいよ5000が近づいてきた。

ロブチェ

ロブチェにはロッジが4軒あったが、どこも満員かそれに近い状態だった。
というのは、ここ数日天気が悪く、カラ・パタールまで行ってもエベレストが見えず、このロブチェに停滞する人が多いからなのだそうだ。2軒目のロッジで、それでも何とか蚕棚の上に寝場所を確保し、小屋のはなれで簡単な昼食をとることにした。チャパティとチャとじゃがいも。それ以上に望むものはない。

友人はあいかわらず顔がむくんでおり、少し頭痛もあるとのこと。ゴトーちゃんもパンパンだよと言われるので似たようなものだと思うが、頭痛はあまり記憶にない。
あたりを動いた方が良いと聞いているので、周りの丘に登ってみたり、ヤクを追い掛けてみたり、ぶらぶら遊んで時間をつぶす。雲は多いのだが流れが早く、さっと陰ったり、また照ったりしている。丘の岩棚で昼寝をしているのは、ポーターたちだ。
見ていると、ペリチェから出てきたらしい人たちが続々と到着するが、なかなか宿が決まらずうろうろしている。まさか放り出されることもないだろうが、狭くて大変だ。

宿のまわりにはテントも見える。このぐらい混雑してくると、テントの方が楽でいいかもしれない。面倒なら食事だけ宿でとってもいいのだし、トイレはあってもなくてもあまり変わらない。

上から下りて来た人たちの話を聞いていると、今日もエベレストは見えなかったらしい。朝出て、エベレストを見られないまま下って来た人たちは、一様に疲れ、口も聞きたくないという様子だ。この先にはまだゴラクシェプにロッジがあるはずだが、高度障害が少しでもある人は、大変なのを承知でこのロブチェまで下り、停滞するらしいのだ。空はどんよりと曇っているし、景気のいい話はないし、何だかロブチェの集落全体が沈んでいるように感じられた。

友人と宿の外にあるテーブルでのんびりお茶を飲んでいると、日本人の若い男4人組が声をかけてきた。ナンパではない。自分ら今からそこで4人で座ってだべりたいんでお前らどいてくんない? って感じのノリだった。ムカっとしたが、こんな標高の高い所で喧嘩はよくないし、めんどくさいのでどいてやった。ほんと日本の男は旅に出ると評価ダダ下がりだ。皆が皆そうであるわけはないとわかっているけどねぇ。

夕食の後、思いついて外に出てみると、何と満天の星である。いつの間にか雲が晴れたのだ。星を撮ってみようかと思いついた。
ちゃちな三脚にカメラを固定し、空に向けてシャッターを開いた。さて、どのくらい開けておけばいいのだろう。友人に聞いてみたが知らないという。仕方ないから、適当に数分あけてみた。しかし、真っ暗闇の中の数分というのは、実に不安なものだ。早くライトを付けたくて仕方がない。おまけに寒い。だから現像してみたら、ただの闇しか写っていなかった。大きな光が落ちてしまったものは、多分自分のライトを写してしまったのだろう。帰国してから調べてみたら、最低1時間は開けないと駄目なようだ。いやまったく、写真は難しいものである……。

「明日の朝は、雪でない限り6時に出発しよう」と、3人で確認してから小屋に戻った。もう寝ている人も大勢いるようで、そっと棚の上に登り、シュラフに入った。日本人の話し声がどうしても耳についたが、それもそのうちやんで、すーっと眠りに落ちた。