ランタン谷トレッキング1~1990.11

エベレスト街道からカトマンズに戻ったのが10/24。出発時に泊まっていたホテルに戻り、うまく部屋もあったのでチェックイン。この頃はシダルタ・ゲストハウスという宿によく泊まっていた。オット氏はストーン(タメルからは離れた場所にある日本人宿で安いけど……の所)に戻って行った。
カトマンズに戻ると体調が一気に悪くなり、お腹は壊しっぱなしだわ、熱は出るわ、かなり大変になった。10/28に友人と再会、合流。前日既に戻っていたとのことで驚いた。友人はおそらくカラパタールからの下り道で確変フィーバー状態になったのだと思う。そこからは無敵の強さでゴーキョピークに登り、下りてきた。すごい速さ、ほんとにびっくり。
私があまりに体調が悪いせいもあり、友人は11/1にポカラに向かった。エベレスト街道で会って少し話したシェルパ族の青年と一緒に。バスの屋根に乗ったりしたそうだ(^^;
私も迷ったが、山にいる時は元気だったのだと思い、ランタン谷に入ることにした。カトマンズでぶらぶらしていたオット氏も一緒に行くことになり、友人に遅れること2日で出発した。

因みにこの当時バスで行ける最終地点はドゥンチェで、現在のトレッキングコースとは異なるルートでスタートしていると思う。

ドゥンチェ~シャブル~バンブーハウス

11/3の早朝に宿を出て、7時発のドゥンチェ行きバスに乗る。カトマンズの町は霧に覆われてきれいだった。天気は快晴、ヒマラヤがよく見える。
11時前にトリスリバザール到着。ここでお昼休憩だが、食べられそうなものがなくチャだけ飲んで終了。チェックポストや国立公園入口(入園料250)を過ぎ、3時10分にドゥンチェに着いた。
1988年とは見違えるほどゲストハウスが増えているにも関わらずなかなか部屋が見つからず、村はずれでようやくチェックインできた。

翌日朝出発。

中国国境に近いこのエリア、中国が作る道が延びている
しばらくは車道歩き、ただし軍用車以外は通行不可のため安全

バルクーという村から登りに入り、尾根にあるシャブルまで。

遠くに雪山が見えている

前回泊った宿に行ってみると、激変していてこれまた驚いた。

 この小屋が、↓こうなった

まだ若い夫婦が経営するバッティ。ランタン谷にも人が増え始め、どんどん豊かになっていった時期なのだろう。

同じシャブル村の入り口付近
なんつうかほんとに……

11/5 シャブル~バンブーハウス
2年前に泊まった小屋は竹から石に変わっていた。気のいい奥さんはすっかり疲れたおばさんになっており、写真を渡した時だけ笑ってくれたが終始元気がなかった。
ドゥンチェから度々見かけていた変な集団が同宿だった。日本人1人、腰巻の白人とネパリ数人、インド人数人、のよくわからない集団。奇妙な行動が目に付く人たちだった。
こいつらが夕暮れ時から大麻パーティーをおっ始め、大迷惑。どうでもいいけど迷惑。翌朝も早くから吸いまくるので頭に来てさっさと出発した。

バンブーハウス~ゴラタベラ~ランタン~シンダム

11/6 バンブー~ラマホテル~ゴラタベラ
歩き出して30分ほどで2年前にはなかった小さな竹の小屋を見つけた。老人と幼児が1人。やれ助かったと中に入り、チベタンブレッドとチャで朝食。
12時過ぎにラマホテル着。昼ごはん。
1時半出発、歩き出してようやくランタン・リ・ルンが見える。リバーサイドロッジ着3時。お茶のむ。
4時半、ゴラタベラ着。バッティが3軒あり、真ん中の建物に入る。しばらくすると日本のトレッカーが1人来て話をする。

ランタン・リ・ルンの残照

11/7
8時半にゴラタベラを出発。道はだらだらとした登りでそんなにきつくない。
昼過ぎにランタン村に到着。昼ごはん。村の中心にあるロッジになぜか日の丸が上がっていた。

昨夜同宿した日本人トレッカーに追いつかれる。この人が某山岳雑誌のフリーの編集者さんで、この縁をきっかけに後日私はその編集部でアルバイトをすることになる。そしてその先にライター、編集者としての数年間があったので、その頃の仕事の全部がこの時始まったと言える。こんな山の中で! 不思議なことだ。

キャンジンゴンパまでは無理と判断し、次のシンダムという村で泊ることに。通常トレッカーは泊まらない場所なので大歓待された。夕食にダルバートを頼む。米をたくさん炊いている。小さな子どもが3人だったかいて、それに夫婦。私たちが食べるのをじっと見ているというか待っているというか。一緒に食べようよと言っても遠慮する。そして私たちが食べ終わると、彼らの饗宴が始まった。大きな金属の皿に山盛り、本当に山盛りの白いご飯。子どもたちはそれにヤクのミルクをかけて貪るように食べている。大人たちはダルの残りとやっぱりミルク。1升とかそれ以上あったんじゃないかと思われる米は、見事に彼らのお腹に収まった。

おそらく、たまに来たお客が落とすお金が、この一家にとっては臨時ボーナスというか。今日はご馳走よ! という感じで貴重な白米を炊いたのだろう。この辺りでは米は作れないから普段の常食はじゃがいもや麦だと思う。

大きな石を適当に積み上げただけの小屋は当然隙間だらけで、外にいるヤクと目が合うほどだ。風が唸りを上げて中に入って来て凍えるほど寒い。

次へ続く