エベレスト街道4・ペリチェからトゥクラ

1990ネパール・トレッキング
小屋の戸を開けて最初に見たのはこれだったと思う

1990年秋のネパールトレッキング記録です
雪も降っていてトゥクラまでは何も撮っていなかったようです(^^;
旅の直後に書いた原稿の内、この日から先の分が復元できました。ここから先は当時の原稿をメインにしていきます。今読むと恥ずかしい部分もありますが……、若かったなと。

ペリチェからトゥクラへ

次の村までは、2時間もあれば着くはずだ。雪は地面をうっすらと白くするだけで、たいして積もるようには見えなかった。広いU字谷のただ中にあるこの村から、先に延びる道は平坦で、ただ歩きさえすれば、簡単にトゥクラ村まで行けるような気がした。
エベレスト直下まで通じるルート、通称エベレスト街道を辿り始めて、その日で7日目だった。標高は既に4000mを越え、高度障害の危険性も高い地域に入っていた。まさか10月前半のこの時期に、雪に降られるとは思わなかった。使わないだろうと思っていた雨具にホッとする。

雨具に身を包み、村を出た。雪は殆ど止んでいて、平原の中に踏み跡が道を作っていた。かなり遠くに、カラフルな服の欧米人がストック片手に歩いて行くのが見えた。彼の後をついていけば大丈夫、私と友人はそう話し、少し急ぎ足に歩いて行った。
小一時間で小さな集落に出会ったが、夏の間だけの放牧村なのか、人の気配はまるでなかった。雪は少し強くなったようだ。
今までも遅れがちだった友人が、少しずつ遅れ出した。大分離れてしまった欧米人を気にしながら、何度か立ち止まって待った。雪はいよいよ激しく、降っただけ無駄なく積もっていくようだ。いつの間にかさっきまで見えていた道が、消えかかっている。立ち止まると、そのまま凍りつきそうな寒さだ。白人の姿はついに見えなくなり、今日出てきたペリチェの村も、さっき通過した集落も、今や完全に見えなかった。

戻る気にはなれなかった。平坦な道は、来た通りに戻っても、同じだけ時間がかかる。それにトゥクラは、もうすぐそこのような気がした。時計を見ると、村を出てからすでに2時間がたっていた。広いU字谷のどんづまりはもうすぐだ。この谷を詰めるか、あるいは右に少し丘を登れば、そこがトゥクラに違いないと思った。最後に白人の姿が右手の丘の方に向かって消えて行ったのを、私は確認していた。
道は次第に右手の斜面に近づいて行ったが、その斜面を登っていく道は見えなかった。そこはちょうど丘の立ち上がりの部分で、そのふもとを谷がぐるりと右に向かって巻いていた。このあたりが谷のどんづまりのように見えていたが、実は谷は右手から延びてきて、ここで急に広がりながら大きく左にカーブしているのだった。

まっすぐ行けばいずれ川にぶつかる。その川原に家らしきものは見えない。やはりトゥクラはこの谷の上流だ。丘を登ってもいずれ谷を越えるのなら、このまま谷筋を進んだ方が確実ではないか。斜面はかなり切り立っていて、気をつけて歩いてみても、道は見えなかった。降り続く雪の中、斜面に沿って少しずつ右に回り込みながら、谷を進んで行った。
やがて左手からも斜面が迫ってきて、谷は急に細くなった。岩だらけの歩きにくい足場になったので、私はその斜面を何となく斜め上に上にと登っていた。斜面には一面に草とも木ともつかぬ植物が生えており、そのすき間を縫うように自然な獣道ができていた。どこもかしこも道だった。どれが本当の道なのか、どれも本当な道ではないのか、まったくわからないまま雪を蹴り、ストックで線を引きながら、私は歩いて行った。時々振り返ると、友人がかなり辛そうに歩いているのが見えた。トップを連れが行き、少し遅れて私、だいぶ離れて友人、という感じで歩いていた。

斜面はだらだらと続き、どこまで行っても、どこにも出ないように思えてきた。視界もきかず、雪だけが威勢よく降っていた。空の色と雪の色が完全に一致し、降る雪の色と積もった雪の色もまた一致していた。目に入るもの全てが灰色に近い白で、その単調さがよけい不安をかきたてる。
平行でない2本の直線は、交点を過ぎてからは離れていく一方だ。交点の直後にはわずか数ミリの誤差でしかないのに、やがてその差は数メートルにも数キロにもなってしまう。そんなことが、ちらりと頭をかすめた。高度のせいか、雨具やザックにしみこんだ水分の重さのためか、たいした傾斜でもないのに身体が進まない。進まない焦りが、さらに焦りを呼ぶようだった。

……とにかく歩かなければ、歩いて何か探さなければ。かすかな足跡や、ヤクの糞や、紐の切れ端や、そういった人の匂いのする物を探さなければ。そしてどの位歩いたのだろうか。手掛かりになるような物は何一つなく、引き返すにも、間違いなく戻る自信もなかった。

ふと、人の声が聞こえたような気がして足を止めた。友人が何か言ったのかと振り返ったが、彼女はそれどころではなく、ただ地面を見て黙々と足を運んでいた。彼女と私との間は、100mはありそうだった。
再び歩き出した私は、前方で二人のシェルパが連れと話しているのを見た。「ああ」、思わず溜め息と共に身体の力が抜けた。助かったと思った。若い、まだ20歳そこそこに見えるシェルパだ。私も追いついて話に加わった。
「トゥクラはこっち?」
下手な英語で尋ねると、シェルパたちは笑いながらうなづいた。
「まっすぐ行けば着く?」
再び尋ねると、彼らも英語で説明してくれた。
「このまま行って、あの大きな岩の所で左に曲がって、下りの坂を下って、橋を渡って、そしたらそこがトゥクラだよ」
「ああ、ありがとう。迷ったかと思って、とても心配だった。ありがとう」
シェルパたちは、荒い息でそう言う私に笑顔を見せ、手を振りながら下って行った。後ろを歩くシェルパが相棒に雪玉を投げ、二人はそうやってふざけながら、下って行った。彼らの足ならば、今日中に相当下まで下るのだろうなと、見送りながら思ったことを、よく覚えている。

彼らの足跡をたどり、彼らの言ったとおりに歩いて行った。岩を左に折れ、坂を下り、足跡は消えかけていたが谷底に達した。何となく、来た道を斜めに戻っているようにも思ったが、雪の中ゆえ確かめようもなかった。そして小さな丸木橋を渡り、土手を登ると一軒の小屋が見えた。どうやらそこがトゥクラらしかった。

小さな戸をくぐって中に入ると、一家が驚いたように出迎えた。
「下りてきたのか? 登ってきたのか?」
「登ってきた。道に迷いかけたけれど、シェルパが下ってきて助かったよ」
一家は不思議そうに互いの顔を見合わせた。家長らしき老人が、皆を代表するように口を開いた。
「ここを誰かが通ればわしらはわかるのだが、今までここを下って行った者はいないはずだ。わしらはずっとここにいたが、誰も下りては行かなかった」
「そんなはずはないよ。二人連れのシェルパが道を教えてくれたし、彼らの足跡をたどってここに着いたのだから」
彼は何となく気まずそうに黙ってしまった。
その時戸口で音がして、友人が顔を出した。私は彼女に助けを求めて尋ねた。
「ね、下りの手前で、シェルパと擦れ違ったでしょ?」
しかし彼女もまた首を振り、誰にも会わなかったと言った。
こういう時に冗談を言うような人ではないので、彼女は本当に誰にも会わなかったのだ。シェルパたちは私と会った後、道を逸れて別の方へと歩いて行ったのだろうか。でもそれにしても、痕跡くらいは残りそうなものだ。

とはいえともかく、トゥクラに着いた。小屋が2軒。私の後ろに見えている小屋が、泊まったバッティだ。デボチェと同じく、小屋の半分ほどが土間で真ん中に竈があり、残る半分は小上がりの板敷だった。ここにはもう動けないおばあさんがいて、いつも竈の横のベンチのようなところに寝ていた。

トゥクラ

チャ(熱い紅茶)を飲み、ララヌードルを食べ、かまどの炎で手足を温め、濡れた靴下を少し乾かすと、ようやく気持ちが落ちついた。2人を小屋に残し、まだ雪の降り続く外に出てみた。私たちがつけた足跡もきれいにかき消え、もうあのシェルパたちを確かめる術は何もなかった。私は安堵した。そうなることを無意識のうちに願い、待ったのかもしれなかった。
小さな丘の上に竹竿に結ばれたタルチョーがあった。そこまで行って、この先の無事を祈った。
小屋の前に、荷物をつけたままのヤクが立っていた。その荷物には雪が積もり、心なしか目を細めて、じっと立っている。時々身動きをするたびに、首につけた鈴が鳴る。降りしきる雪に、その音が溶けていくようだった。

小屋には老夫婦とその孫(息子?)の3人が住む。この少年が実におしゃれである。足元は黒いブーツ、グレーのニッカボッカにハイソックス。上にはチェックのシャツに黒いジャンパー。頭にハンチングで決まりだ。この出で立ちで、きびきびと湯を沸かし、鍋をかき回し、芋の皮を剥く。楽しくていい。

しかし夕方、もう間もなくすっかり暗くなるという頃、楽しいどころではない騒ぎが持ち上がった。突如ドアが開いたかと思うと、ドドドッと人がなだれ込んできたのだ。ポーターが大柄な白人男性を背負い、もう一人が後ろから支えている。白人女性は奥さんか、友人か。そしてガイドともう一人の現地の人。
かまどの脇の老婆の寝台に、病人を横たえる。ポーターたちは汗だくだ。全員がものすごい勢いで紅茶を飲む。病人は飲みたくないらしいのだが、無理やり少し飲ませている。
完全装備でシュラフや毛布でぐるぐる巻きの病人。倒れ込んだまま、自分では手袋を脱ぐこともできない。
小屋の少年が「何でこんなことに……?」と問うと、ガイドらしき青年が
「無理だと止めたのに、進んでしまったのだ、本当に止めたのに……」
と言う。病人はただひたすら苦しそうである。このまま一気にペリチェへおろし、ヘリコプターを呼ぶのだそうだ。
「そうすれば多分助かるだろう」
と、ガイド青年は言った。

長くは休まずに、彼らはまた雪の中へ出ていった。もうすっかり暗くなっており、ライトなしでは歩けないだろう。それでも下ろすしかないのだ。
彼らが出ていった後、少年は私に言った。
「無理して行ったばっかりに、ポーター1人につき700ルピー払うんだって。高い話だね」
「ここからペリチェまで、どのくらいかかるの?」
「さあ、あんな状態だから、3時間から4時間ってとこかな。それでも、下ろすしかないからね」
自分の寝台に戻った老婆が、数珠を繰りながら何か呟いている。雪の中を急ぎ下りて行く一団の後ろ姿が、見えるような気がした。

寒さに震えながら眠りに就いた。4畳半あったかどうかという寝室に、私たちと現地のシェルパたちが、それこそ折り重なるようにくっついて眠った。
夜中に一度トイレに起きた。時計を見ると12時。表は恐ろしいほど静かで、少し弱くはなったがまだ雪が降っていた。すでに積雪は20cm位になっており、歩くとずぶずぶと足が埋まった。
雪は物音を吸収すると聞いたことがある。もし今ここに雪がなかったら……、そう考えてみるが、その時世界がどのようであるのか、想像はつかない。が、今のことならわかる。今、世界は、全き無音である。
全ての音が死んだ世界に、私がいる。呼吸の音すら雪が吸い取ってしまい、私もまた死者の仲間入りをするかのようだ。………ここは本当の世界なのだろうか? 私は自身の姿を鏡の中に見て、そのまま鏡の中の世界を歩いているのではないだろうか? そうとしか思えないほど、ここは静かな、宇宙の一点なのだ。
灰色のどこかうすぼんやりと明るい空に向かって、今は祈るしかない。どうか、カラ・パタールへ、カラ・パタールへ……。
小屋に戻ると皆よく眠っていた。靴を脱いでシュラフを探ると、ほんの数分しか離れていないはずなのに、もうすっかり冷たくなっていた。

雪止みの朝

しばらく眠ってまた目を覚ました。午前3時頃かと思ったが、気になったのでシュラフの中でライトをつけ、時計を見た。何と6時だった。小屋は静まりかえり、小さな窓のハングル文字の新聞紙の隙間から、弱い光が漏れている。雪の反射か、それとも太陽の光か、中からはさっぱりわからない。
そっとシュラフを抜け出て靴を履いた。シュラフの上にかけておいたヤッケを手に持ち、寝室と台所兼居間を区切っている布をそっとめくる。隅で小屋の老夫婦と少年が眠っている。ますます物音を殺して、木の扉に近づいた。扉の横や下からも弱い光が差し込んでいる。かけがねを外し、静かに扉を開けた。

息をのんだ。真っ青な空が広がっていた。そして、昨日は全く何も見えなかった空間に、巨大な山がいくつもいくつも連なって、聳えていた。太陽の光が、それらの高い高い所を、真っ白に照らしだしていた。
視野一杯に紺と白が広がり、踊り、キラキラと輝きながら朝の訪れを祝っていた。身体の底の底から、説明しがたい何かが、物凄い勢いで突き上げてきた。それは、この小さく脆弱な私の身体をつき破り、外の純白の世界へ飛び出して行った。
私は、ただ「わあ」とか「おお」とか呟きながら、小屋から足を踏み出した。雪の上に足跡が一つ、また一つとついた。十数歩行って立ち止まり、小屋を振り返ってまた声を上げた。小屋の裏側も純白の山々の独壇場だったのだ。

小屋の戸を開けて最初に見たのはこれだったと思う

私は「うわあうわあ」と呟きながら小屋の回りを歩き回った。信じられない世界の激変だった。朝起きてみたら火星にいた、そのくらい信じられないことだったのだ。
「やんだぞ、行ける、やった、神様ありがとう、わあ、やった、晴れた、・・・」
言葉にすればこんな感じの喜びが、身体じゅうに溢れて湧きかえり、じっとしているなどできなかった。世界中の人に「雪が止んだぁ、やったぁ」と叫びたいような気分だった。
そうやっていたのは、たいして長い時間ではない。せいぜい2~3分だったと思う。私は小屋の中へ取って返し、友人を乱暴にたたき起こして「雪がやんだ、雪がやんだ」と囁いた。そしてカメラをひっつかんで再び外へ飛び出していった。
膝下までの雪に足跡をつけながらめったやたらと歩き回り、写真を撮った。小屋の裏の丘へも登って行った。昨日の夕方お願いをしたタルチョーの前まで行って、「ありがとうございました、雪がやみました」と報告した。丘の下では2軒の小屋が、この素っ頓狂な旅人の騒ぎにも気付かず、まだ静かに眠っていた。


雪がやんだ。日が射せば、少しずつ溶けるだろう。人が歩き出せば、道もできる。迷う心配もない。とにかくまた一歩、目的の地、カラ・パタールに近づくことができるのだ。昨日はまるで私の前進を阻止するかのように荒れた天が、今日は「行っていいよ」と笑っているのだ。神が行けと言っているのだ。
私はカラ・パタールへ到達するだろう、そんな確信をその朝持った。そこからはまだ1000mほども高い地に、間違いなく到達するだろうと感じた。

このような歓喜の瞬間を、私はもう長いこと持たなかったし、これからもそう何度も持つとは思えない。自分の内外にある様々の付属部分が全て抜け落ちてしまったような感覚。動物としての本能、非常に単純で強烈な歓喜。身体の全ての感覚を総動員して味わう一瞬の空気、光、よろこび。

やがてトゥクラは眠りから覚め、炊事の煙がたちのぼり、人々が動き出した。出発の前に朝食を採っていると、竈の側に私と老人の二人だけになる時間があった。私は老人に、そっと尋ねてみた。
「昨日、私が見たシェルパを、彼女は見ていないし、あなた達も見ていないと言ったけれど、そんなことってあるのでしょうか。私はとても不思議な、少し怖いような気もしているのです」
老人は何度も聞き返して私の言おうとしていることを理解したようだったが、やがて火に手をかざしながら言った。
「怖いと思うことはない。むしろとてもハッピーなことだ。今までも、旧道に迷い込む者はあったが、昨日のような雪で、よくこの集落まで来れたものだよ。あんたは丘を登らなかったと言った。谷を来たと言った。それは古い、廃道なのだよ」
老人は、いったん言葉を切った。
「わし達は、シェルパを見なかった。が、絶対に誰も下らなかったとは言えない。……下ったかもしれない。下らなかったかもしれない。それが誰だったか、わしにもわからない。でも、あんたは生きているんだから、よかったじゃないか」

それから少しの間、私たちは黙っていた。そこへ、連れが頼んだポーターの少年がやってきて、私たちは出発することになった。戸口へ出た私は、老人に礼を言った。老人は私の肩に手を触れ、ゆっくりと、静かに呟いた。
「あんたは、行く。上まで、行くさ」
私は彼にうなづき返した。そのとおりだ、そのとおりになるだろうと、私も思っていた。
この青い空が行けと言っている、背後の山々が後押しをしてくれている。
その朝、私は雪に足首まで埋めながら、そう感じた。不思議なことに、そのときの雪を冷たいと思った記憶はない。

古来、人間が山に神を見てきたという、その事実を私は自分自身で受け止めた。山は聳えたまま動かないけれど、山の持つ強大で静かな、無言の中に存在する意思というものを、私はこのヒマラヤで感じとったのだった。あるいはそれは、宇宙の意志であったのかもしれない。この世には、そういう大きな意志が存在している。私はそれを知り、今もその存在を精神のどこかで感じ続けている。
晴れ渡った空の下の恐るべき静謐の中で、その朝私は雪とともに大切なものをつかんだのだ。積もった雪はサラサラで、雪玉はできなかったけれど、雪がすっかりこぼれ落ちてしまっても、私の手にはそのたった一つのものが、日の光にも溶けずに残っていたのだった。

 

※そんな風にしてたくさん撮ったはずの写真が散逸していることに愕然……

※トゥクラへの道に旧ルートがあるという件ですが、私の創作である可能性があります。この時の旅行記は創作っぽくしている部分があり、実際にルートがどうであったか、もうまったく記憶がありません

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