エベレスト街道7 ついにカラ・パタールへ

1990年秋のネパールトレッキング記録です
旅の直後に書いた旅行記が発掘できたのでそれをメインにして書いています

ゴラクシェプへ

何となく気配を感じて起きると5時半だった。昨夜星を見たので少し安心していたのだが、今は雲が低くたれこめ、あたりは暗く凍えている。ただし雪は降っていないし、降った形跡もない。
「よし、とにかく行ける所まで行こう、後は天にまかせよう」
そう思い、小屋に戻った。
友人とオット氏を起こしてパッキングにとりかかっていると、少し離れたエリアで日本人たちが、
「一昨日の雪の日と同じ雲だ、今日行ってもどうせ駄目だ」
「どうせ行っても何も見えないんじゃな、やめたやめた、寝よ寝よ」
と話しているのが聞こえてきた。外に様子を見に出て戻ったのだろう。確かに雲は厚いのだ。
でも私が思ったことは一つだけ。
「五月蝿いわい」(&、お前らうざいから行くわ!)

不安を吹き払うようにパッキングを急ぎ、6時きっかりに小屋を出た。ピンクのトレーナーが寒そうなパサン少年に、「何はともあれ、彼女のそばを離れないで」と念を押し、歩き出した。
歩き出してすぐ、友人と私とは離れ始め、以後完全な別行動となってしまった。

あたりは徐々に明るくなってきてはいるが、雲は頑固にたれこめており、雪が降っても不思議はないような雰囲気だ。上を向いて歩く元気が出ず、もっぱら足元ばかり見て歩いて行った。私たちの他に歩いている人は見えず、出発して随分たって振り返った時、ようやく遠くに人影を認めた。いや友人だったのか? 雲を見て出発を見合わせている人が多いのだろう。誰もが無駄足は踏みたくないのだから。
道は小さな起伏を繰り返しながら、確実に高度をかせいでいく。平地は難無く歩けるが、登りはやはり相当苦しい。このあたりで標高はすでに5000mに達しているのだから、当然のことなのだろうが。

小さな坂を登り、息を整えようと前方上空に目をやった時のことだ。はるか彼方のその空で、風が流れたのを見たような気がした。ドキリとした。もしかして……、空から目を離さずになおも少し歩いていくと、今度こそはっきりと風が上空を流れ、雲が少し動いたのを見た。思わず足を止めた。
頑固に居座っていた雲が、あれよあれよと言う間に風に流されていく。私のまわりを取り囲むように垂れ込めていた雲が消えて行き、その中から山が次々と姿を現してくるのだ。それらの山は、今が一日で一番美しい時間だとばかり、朝の光を受けて眩いばかりである。

霧が晴れてゆく、奇跡の朝だ

奇跡が今、起きている。そう思った。その奇跡を有りがたく押し戴きながら、夢中で写真を撮った。広角の28ミリレンズでも、ごく僅かずつしか切り取れない。少しずつ切りながら、1周して元に戻ると、すでについ数秒前とは違う風景に変わっているのだ。やがて私はカメラをしまった。そして谷間に消えて行く雲を、しばらくただ見つめていた。

霧が流れる、晴れてゆく

晴れた。早く、ゴラクシェプへ。

そう思ってできるだけ急いで歩いて行った。ロブチェにはバッティが4軒あったが、ゴラクシェプには2軒しかないと聞いた。泊まる場所を確保しなければならない。そう思って気が逸る。
途中で1度軽い貧血のような眩暈がして座り込んでしまったが、そんなこともおかまいなしに歩き続けた。

プモ・リをバックに

 

プモ・リの足元の黒い丘がカラ・パタールだ

凍てつく流れ

ゴラクシェプはまだか

斜面にヤクがいる

この丘を越えれば、ゴラクシェプかもしれない。何度もそう思い、裏切られして道は続いたが、とうとうある丘の上から家らしきものが見えた。周囲の色と同じ石を積んだだけの小屋だから、遠目にははっきり識別することは難しいのだが、周囲にカラフルな服装の人たちがいたので、それとわかったのだ。

黒い丘の麓に建物が

ゴラクシェプだ。

とうとう、ここまでやってきたのだ。あとはもう、何も考えず、走るようにして丘を下りていった。

 

ゴラクシェプへ!

ゴラクシェプ到着

ゴラクシェプ

石を積んだ小屋、バッティが2軒あるだけのゴラクシェプ。写真には1軒しか見えないがテントの奥にあるのか、画角から外れているのか。どちらにしてもこのサイズの小屋が2軒あるだけの場所だった。

小屋の前に、数人のトレッカーが休んでいた。すでにカラ・パタールに登った後なのかもしれない。そんな人たちが見守る中、私は小屋に着いた。ロブチェを出てから2時間半、時間は8時半だった。
朝から水以外何も口にしていなかったので、早速チャを頼んだ。小屋の中はベッドというより完全な雑魚寝型のスペースがとってあり、そこで皆が横にも縦にもぎっしりとなって眠るようだった。
この日は絶好調だったオット氏が一番に到着し、3人分のスペースを確保してくれていた。ここに停滞していた人もカラ・パタールに登れば下りてきてそのまま下山に入る。とはいえ小さな小屋なので、早めに確保できてよかった。中にはたくさんのザックが置いてあった。

小さな石積みの小屋

小屋の前からすぐ目の前に、ヌプツェの稜線が始まっている。ヌプツェの向こうに、少し頭を見せているのがエベレストだ。(注・上の写真のことではありません)これからカラ・パタールに登れば、さらに大きく見えるはずだ。ヌプツェ、エベレストと谷をはさむようにして聳えているのがプモ・リで、その手前にある黒い丘がカラ・パタールだ。
ここから標高差にして450mほど、なだらかな丘のように見える。

プモ・リとカラ・パタール 下山する日に撮っているので雪がない

とにかくおなかはすいているし、ここまで急いで来たので疲れてもいるし、チャとビスケットで休憩にする。友人はなかなか到着しない。よし、先に登ってしまうか。好天がいつまで続くか誰にもわからない。晴れている今を無駄にしてはいけないような気がした。
そう思って小屋に入り、ララ・ヌードルを頼んだ。カラ・パタール頂上までは2~3時間連続しての登りだから、腹が減っては勝負にならない。

カラ・パタールへ

カメラと水筒を布袋に入れ、肩からたすきにかけて小屋を出た。時間は午前9時。天気はまだ快晴。空が真っ青に広がっている。小屋の裏側へ出てみると、小屋とカラ・パタールとの間には広い砂地があった。ソフトボールなら2面は取れそうな広さだ。砂地へ下り、雪の踏み跡を選んで歩いて行った。右手には小さな湖も見える。

カラ・パタールは唐突に砂地から立ち上がっていて、なだらかな丘というのは大きな間違いだった。かなり急な傾斜がしばらく続き、登っては休み、休んでは休みと、ちっとも登って行けない。それでも少しずつ高度をかせいで行った。
最初の急な登りが終わると、少し緩い斜面に出た。ここまでは道らしきものがあったのだが、この先はそれらしきものは見当たらず、とにかく登ればいいという感じだった。ここに一人、あそこに二人というように人影も散らばっている。みんな自分の好きなように登っているようだった。

登りの途中、背後にヌプツェ、エベレストなど

ところどころに、とてつもなく大きな岩が転がっている緩斜面を登って行った。登って行く方向つまりプモ・リの方角に雲が湧き出し、しばらくするうちに山は完全に見えなくなってしまった。が、エベレスト方面は大丈夫だ。じりじりと、頂上を目指した。

プモ・リに雲が湧き始めた

まっすぐ登って行くのはきつかろうと思い、いったん左に大きく巻いて緩斜面の終わるあたりまで行き、そこから右に右にと斜めに急な部分を登ろうと決めた。急な斜面にとりかかると、そこは岩場と言うべき場所で、岩また岩の隙間を縫ったり、あるいはよじ登ったりしなければ、まるで進めない。そうなると、当然視界もきかないから、今自分が全体のどのあたりにいるのか、そういうことがわからなくなってしまう。もともと人もほとんどいなかったし、岩だらけの場所に一人きりで、少し不安でもあった。けれど、登るよりほかに道はないのだから、とにかく上ばかり見て登って行った。

エベレストが大きくなっていく

大きな岩の隙間でどうやってここを登ろうかと迷っていた時、たまたま上から人がやってきた。それはゴラクシェプまでの途中で私たちを抜いて行ったインド人グループの一人で、彼は私がそこを通り抜けるのに手をかしてくれ、そして言った。
「あとたった2分で頂上だ」
「え、本当?」
「もちろん、もうそこに見えてるだろ?」
私にはそれがどの岩の上をさすのかよくわからなかったが、とにかくこの一言には勇気づけられた。2分ということはないにしても、30分ということもないだろうと思ったのだ。そこでまた、岩の上を這うようにして登っていった。

人の声が近づいてきたと思ったら、不意に一番上に着いていた。もう見上げるべき高い場所はない。とうとう、着いたのだ。カラ・パタールの頂上に。
頂上は細長く、けれど割と広い場所だった。そこでどこの国かはわからないが、グループで来たらしい人たちが喜びに沸いていた。何となく感慨にふける雰囲気でもなくて、快晴のエベレストやヌプツェ、そして周囲の景色にレンズを向けた。
さすがにエベレストが随分大きく見える。その横のヌプツェも迫力だし、名前を知らない幾つかの山々も、堂々と露払いをつとめている。プモ・リが見えないのは残念だが、その裾に広がる氷河が見下ろせる。360度の展望というのは本当だった。自分には決して登れない高い山々を眺めながら、全くとんでもない所まで来てしまったものだと、つくづく思った。暖かい日差しを浴びながら、おかしいやら嬉しいやら、そして何てあっけない登頂なんだと思って、笑ってしまった。

エベレスト、ヌプツェ

エベレストをバックに

日焼け雪焼けで真っ黒! 日焼け止め塗れ! と思う写真。塗ってもすぐに汗で落ちてしまいそれっきりの積み重ね……。この強烈な紫外線を浴び続けたと思うと今さらながらにあちゃーっと思う。

一段落してから腰を下ろし、水とビスケットでお祝いにした。すると小鳥が一羽飛んできて、いかにもビスケットが欲しそうなそぶりをする。50cmくらいの距離で、人を恐れない。いつもこうして、トレッカーから餌をもらっているのかもしれない。ビスケットを少しやり、かわりに一枚撮らせてもらった。

5545mの鳥

注・モノクロ写真は下山の時のものなので雪が写っていない

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