武漢~上海 1989.10-12中国の11

武漢到着、そしてまた船に乗る

船は15時間ほど遅れて4日目の朝武漢に着いた。下船して石段を登っていくと街に出た。同じ船室だったおじさんが、切符売り場を教えてくれて去って行った。有り難う。
ここの切符売り場は何ということもなく、人民料金で今日の上海行きが買えた。69.7元。あまり簡単なので、少し拍子抜けしてしまう。
街歩きに出て市場に入る。兎の全身皮剥き肉が吊り下がっていて、何かを思い出す。そうだ、4月に那覇で見たベトナム戦争映画の場面だ。あまり気持ちいいものではない。

船は前よりボロ。どうも重慶~武漢は少し観光気分があるので、料金も高いのだろう。だがこの武漢~上海は取り立てて観光名所もなく、故に同じ日数でありながら、料金は半分近い安さなのだろう。
3等は12人部屋になった。しかしラッキーなことに最もデッキに近いベッドが割り当てられた。つまりそこにいれば、寝ていても河が見えるのだ。

この頃、列車でも船でも日本の演歌が歌詞抜きでよくかかっていた。この船もそうで、朝を告げるのが日本の演歌ヒットパレードという不思議さだった。「お前を道連れに」や「氷雨」、「北国の春」、「昴」、「ルージュ」などが特によく流れていた(昴、ルージュは演歌ではないが)。

これが河だという
はるかに立木が霞んでいる
カモメが舞っている

船は冬景色の中をゆっくりと下っていく。上段ベッドに寝ころんで、河を見続ける。
時折岸に近づくと、土手を自転車で行く人や、畑仕事に励む人の姿も見える。世界の中でこの河だけが別の世界で、そこにいる私が向こう側の世界を眺めている、そんな気がする。向こう側の時間はゆったりと流れ、人々の動きもまるでゆったりと舞っているように見え、そしてこちら側の時間は止まっているのだ。不思議なエア・ポケットに入りこんだような静けさと、穏やかさ、安らぎ。私は飽くことなく、向こう側の世界を眺め続けた。

長江に陽が昇る
手漕ぎの漁船が網を引いている
華中は晴れだ

朝目覚めると、ちょうど対岸から太陽が顔を出したところだった。その新しい光の中で、漁船が網を引いていた。
ガンガーの朝を思い出す。あのときも、対岸から太陽が昇るのを見つめた。ボートや帆船が行き交っていた。同じだ。どこも同じなのだ。
日中になると光の加減で水面がキラキラと輝く。波頭の部分が輝いては崩れ、美しい。薄暮の川風に吹かれて波を見ていると、行き交う船の灯が靄に和らげられて輝く。じきとっぷりと日が暮れる。
長江-チャンジャン。いい河だ。いい旅だ。こんなに心穏やかに、ニコニコ笑いながら旅ができた。

夜6時半、同室の人に教えられて出てみると、南京が近づいていた。少し停泊したあと、大きな橋の下を潜る。誰もかれも皆、デッキでこの橋を見つめている。横のおじさんに「ナンチン・ターチァオ?」(南京大橋)と尋ねると、「トイ、トイ」(そうだ、そうだ)と言った。
この橋を、昨年の6月の終わりに列車で通ったことを思い出す。まさか1年後に船で潜ろうとは思いもしなかった。夜の闇に橋のオレンジ色のランプが物悲しく光り、潜ろうとしたその時上海からの列車がさしかかった。列車の窓も全開で、だれもが長江を見ているのだった。

水平線以外に見えるものは何もない
それでもここは長江だという

長江の河下りも、最終日を迎えた。起きてみてびっくり。海だ……。
だが、ここは長江だ。地図で見てもわかるように、長江から上海に入る場合には、一切海には出ない。河口はまだまだ遥か遠くにあるのだ。それでもこれはまるで海だ。茶色い水が、どこまでもどこまでも続いているだけだ。カモメが舞っている。呆然と、海じゃなかった河を眺める。
1か月半の旅も、そろそろ終わりに近づいた。今、私はもっと旅を続けたいと思っている自分に、少しばかり呆れている。昨年のような「早く、早く、上海へ」という思いはない。ただいつまでも、この河を旅したいと思っている。長江下り。これ以上の旅のしめくくりは、今回の私の旅にはなかった。この海、否河を、まだ少し船は下っていく。黄浦江に入れば、三たびの上海だ。

軍艦も停泊している

午前11時20分、船は長江に別れを告げて黄浦江に入った。たくさんの船の間を縫うように、船は遡っていく。途中で軍艦をたくさん見た。甲板で洗濯している兵士が手を休めて、こちらに大きく手を振る。その兵士を見ながら、あなたのその手が人を殺す日が永遠に来ないこと、それを祈る。

懐かしい上海の街を眺めた後で、船は港に入った。1年半ぶりの上海だ。私にとっては忘れられない街、上海。始めて一人で歩いたのがこの街だ。あれから一年と7か月。長いようで短い年月だなあ。

上海

南京東路

上海での宿は浦江飯店とほぼ決まっている。ほかにも外国人が泊まれる宿はいくつかはあったと思うが、どれも高いので個人旅行者はたいていここに泊まることになる。ドミの値段はこの時も20FEC(朝食付き)だった。

上海でももちろんいろいろあったのだが、最も心にのこるこの話を書いておこう。
ある日、南京東路を歩いていておなかが空いたので、路地の面屋(ラーメン屋)に入った。小さな、イスが10ケあるかどうかという店だった。
小柄なおばあさんが一人でやっているその店で、上に肉の塊がのっている排骨麺を注文した。麺を茹で、タレを入れ、麺と熱湯を入れて最後に肉や野菜をのせる。それはとてもおいしいラーメンだった。上海でこんなおいしい麺を食べられるとは。上海には「食える」程度のものしかないと、なぜか思っていたからだ。
おばあさんが「おいしいかい?」と聞いたので、私は大きくうなづきながら言った。
「好吃! 在上海的、最好吃的面!」(おいしい! これは上海で一番おいしいラーメンだよ!!)
おばあさんは、「上海で一番おいしい、上海で・・・」と繰り返し、心底うれしそうに笑った。そして席を立つ私を、「必ず、また来るんだよ」と送り出してくれた。
もちろん、再び上海へ行ったならば、私はあの店をたずねて行くだろう。その時まであのおばあさんが元気でやっているかはわからないが、ともかくたずねて行くに違いない。上海もまた、私を誘う街である。

裏町の路地
上海豫園
どこだかもうわからない
おそらくだが、浦江飯店から見た町並み
こちらも同じくだと思う

上海で買い物

上海では色々なお土産ものを買った。当時の日記が出てきたので、面白いかと思って買ったものと値段を書いてみる。

桂元(竜眼を干したもの) 500g 18.7元
鉄観音茶         250g  10元
筆  1.2元
ハーモニカ  7.9元
白花油 0.96元 (メンソレータムの液体のようなもの)
魔法瓶 20.8元
華僑バッグ 6元
トイレットペーパー 0.9元 (お土産じゃないけど)
布靴  7.8元
清涼油 0.52元 (これもメンソレータム液状版)
南京錠 1元
ダウンコート 179元
ひまわりの種 500g  2元
布靴 7.1

これらはすべて人民元、当時闇両替で1人民元=約26円

 

上海を去る

上海を、そして中国を離れる日がやってきた。前回も船での帰国だったが、今度も同じ船の横浜行きに乗ることにした。出航は夕方だった。

午前中、最後にもう一度南京東路へ行った。ここは上海の銀座通り、おのぼりさんの通りと言われている所だ。そこの靴屋に入った。前日もそこで買い物をしたのだが、別の形のものも欲しいなと思って再び訪れたのだった。
中はいつもと同じように大変な混雑だった。その中で品物を買おうとしていると、男性の店員がはじめは無愛想(と言っても中国では普通)だったのが、途中からいやに親切になった。おや、と思って何気なく周りを見ると、奥に見覚えのある女性の店員がいた。昨日私の相手をしてくれた店員だった。彼女はちらっと私を見て、それこそ雑誌のグラビアにでも載りそうな顔で笑った。私も笑い返し、品物とお釣りをもらってそこを出た。
同行のHさんは、その時の様子を後で話してくれた。
ほら、昨日たくさん買った時の店員がいたでしょう。あの人が、途中で姉さんに気がついて、信じられないくらいのにこにこ顔で見ていたんですよ。本当に『ホァンイン、ホァンイン』(歓迎)という顔で。だから周りの店員も気がついて、みんないい顔していたな。途中で男の店員も態度が変わったでしょう。それにしても、中国の店員があんなに笑うなんてね!

その時私が買ったのは、黒のカンフーシューズ。中国では単純に「布靴」と呼ばれていた。

昼食を、大理で別れて偶然この上海で再会した光るちゃんという青年ととり、私とHさんは港に向かった。

中国個人旅行者なら一度は乗ったと思われる鑑真号
今から乗ります

船はもう乗船を開始していた。出国手続きをすませて、乗船する。

二等の和室 もう寝具を出しているのが私がゲットした場所。みんなそれぞれ荷物を置いて布団をキープしている

出航が迫ったころ、甲板に出てみた。船は定刻に岸を離れ、タグボートに引かれてゆっくりと河の中央に出ていった。そこでタグボートが今度は逆に船を押し、船は停泊していた時とは前後を逆にしてからゆっくりと河を下り始めた。

船が出るぞー

夕暮れの風が吹き、河を行くポンポン蒸気の音が心なしか物悲しく響く。遠ざかる上海の街を眺めれば、丁度夕日が上海大厦の上にかかっていた。あたりはどんどん暗くなっていき、その中で上海の街が夕日を背負ってオレンジ色に輝いている。それは、始めて見る‘美しい上海’だった。

上海に日が沈む

「さらば上海、また来る日まで」
そう声に出した。私は再び、この街を訪れるだろう。そんな確信のようなものが、そのとき私の中に存在していた。
前年、同じようにして上海を離れた時は、「さらば中国、二度と来るもんか! 絶対、絶対、二度と来ねぇぞーーーーっ!」と心の中で喚いていたと思う。それなのにまた来てしまい、そして今回は「また来るだろう」と思っている。自分が成長したわけではもちろんない。たまたま、めぐりあわせがよかっただけだ。

上海バンドが遠くの小山のように見え始めた頃、私は船室へと下りて行った。

 

この項は1989年当時の記録に大幅に加筆訂正しています。

上海の麺屋さんは、残念ながら次に行った時には既にないか私が発見できなかったかで、「再び行く」という約束を果たすことはできませんでした。