シーサンパンナへ 1989.10-12中国の旅④

シーサンパンナへ

シーサンパンナは、中国の楽園だ。昨年敦煌で出会った青年が、そう言っていた。シーサンパンナは、その時から私にとって憧れの地となっていた。こんなに早く、そこを訪れるとは・・・。
シーサンパンナ、漢字で書くと西双版納、泰族自治州。雲南省の南の端っこ、ミャンマー、ラオス国境に接するエリアだ。山岳少数民族がたくさん暮らしている。中国で最も南に位置し、漢族よりも少数民族が多いため、漢族のトゲトゲした、ギスギスした荒っぽさが少なく、のんびりした場所なのだそうだ。
昆明から西双版納の都・景洪までは、バスか飛行機を使う。バスは3日かかり、飛行機はせいぜい1時間とバス半日だ。私は飛行機を選んだ。飛行機は途中の思芽まで飛ぶ。その先の路線はまだない。小さな小さなプロペラ機は、かなり揺れながら山岳地帯の上空を飛んで行く。私は離陸前にコトンと寝てしまい、ジュースを配りに来たのも知らない。

思芽に到着し、空港からは民航のバスで市内に向かう。到着するのは民航のオフィス。この町の情報はない。どこに泊れるのかがわからない。バスの運転手に方向だけ聞いて歩き出す。
乗客の漢族のおじさんが、何となく私を気にしてくれたようだった。彼は賓館の場所を教えてくれた。ところが私は勘違いをして食堂に入って行き、「泊まりたい!」と叫んでしまったのだ。オバサンに「隣だよ!」と笑われて出てくると、先のおじさんがあわてて走ってきたところだった。食堂に入って行った私を、どこかからか見ていたのだろう。「ここだよ」と教えられ、賓館に辿り着く。こういう親切を数限りなく受けてきたとあらためて思う。
賓館ではすぐに泊まれることになった。

受付のお姉さんにバスの切符売り場を聞く。ついでに景洪の読み方も聞いておく。チンホン、チンホンと読むのだそうだ。
教えられた場所に行くと、まだ開いていないようだった。前で待っていると自転車の女性が現れ、「切符買うの?」と聞いてきた。「そうです」と答えると、ちょっと待ってと建物の中に入り、ガタガタと大騒ぎの末窓口を開けてくれた。
照れ臭そうに笑う彼女は、「で、何処に行くの?」と言う。「チンホン!」自信を持って私が言うと、「何時のがいい?」と聞く。驚いた。こんなことすら、中国では考えられないほど親切なことなのである。

中国では、有るものがなく、有ってもなく、見えていてもなく、何でもかんでも「ない」のが普通である。旅行者は「あるはずです」「そこにあるじゃないですか」「そこにあるそれ、それが欲しいんです」と言い募り、精一杯笑い、あるいは怒ってみせ、そしてようやく、そんな不毛なやりとりを数分にわたって繰り広げた挙句に、やっと、「そこに有る」ものを手に入れることができる、それが普通なのだ。「何時にしますか?」なんて訊いてもらえることは、本当に、本当に、稀なことなのである。

私が「7時」と答えると、はいはいと何処か(多分バス駅)へ電話をかけ、切符を作ってくれた。そして渡しながら「7時にそこ、そこにバスが来るのよ」と言うのだが、そのそこというのがわからない。「え、ここ? そこ? どこ?」と間抜けなことを言っていると、お姉さん、何と出てきてしまった。そして私の手を引いて通りを渡ると交差点の角まで連れて行き、
「ここよ! 7時よ!」
と何度も繰り返してくれた。そこまで言ってもらえれば、私にもわかる。「ここね、わかりました。ありがとう!」すると彼女は「どういたしまして」と手を振って、建物に戻って行った。

食事をしようと店に入ると、服務員が総出でこっちへ来い、中に入って来いと言う。え、台所に入るの? と思いつつも、言われるままに奥に入る。このあたりではメニューはなく、客は自分の食べたい材料を選んで、調理方法を指示するらしいのだ。彼らとカタコトの中国語と殆どはゼスチャーで相談し、何とか注文する。座って待っていると、客の一人が煎った豆を持って現れ、何故か日本語で「マメ!」と叫んで去って行った。私のごはんが出てくると、今度は「ミシミシ!」と叫んだ。私は苦笑してみせるしかなかった。
ミシミシは、実は笑えない話なのである。昨年シルクロードで何故か食事休憩のたびにウイグル人がミシミシと叫んだ。そして白人さんに向かって食事はミシミシだと教えていたので、私はウイグル語で食事はミシミシなんだ・・・と納得していたのである。だが、それは違うということを、北京の専科に聞いた。日中戦争の当時、日本軍が使役していた中国人たちに、簡略日本語を教えていたらしい。その一つが、ミシなのだ。メシとミーファン(中国語で米の飯)をかけあわせたのか、そのへんはわからないが、ミシミシというのは日本支配の名残の言葉だったのだ。
そんなわけで、この食事はちょっと複雑な味だった。

ああ、メコンだ、メコンだ、メコンが光っている。

7時にバスが来るはずだった。が、7時に来たのはチンホン行きでも別のバスで、結局私のバスは20分遅れてやってきた。それも、椅子がベンチ式の殆ど骨董品みたいなバスだった。すでに人が乗っているが、それほど混んでいるわけではない。乗り込んで、席に座るとホッとした。久し振りの中国長距離バスである。
道はすぐとんでもない山道になる。集落が所々にあり、道端でバスに手を振ると停まる。その人を乗せて、またバスは発車する。そうやって下りたり乗ったりしながら、バスはとにかく走っていく。それがどんなすさまじいバスであっても、それを楽しんでしまえば何ということもない。バスに乗ってメコンに向かっている、そのことを大切に感じたい、そんなことを思う。
朝は寒いくらいだったのが、時間とともに大変な暑さに変わっていく。暑さで眠い。船をこいでいてふと目をさますと、バスはまだ山の中を走っていた。なーんだ、とまた瞼がくっつきそうになったその瞬間、バスは大きくカーブを曲がった。そして、遥か下にはメコンが光っていた!  私はパッチリと目を覚ました。バスはそこで、最後の峠を登りきったのだった。
カーブを切るたびに、メコンは近づいてくる。バスは次第に高度を下げながら、ひたすら川をめざしていた。「来たぞ、メコン! 」窓から遠くに光る一筋の川を見つめながら、私は呟いた。バンコクに3回下りていながら、タイ側からメコンを見たことがない私である。これが初めての、メコンであった。
川の高さまで下ったバスは、集落に入った。ここがチンホンらしい。川を渡ってから、バスは止まった。ついに着いた、シーサンパンナ景洪へ。

版納賓館が、今日の宿だ。感じのいいおばさん服務員のいる、二階建ての建物に通された。バンブーハウスというそうだ。中国の宿というより、ネパールの宿という感じ。賓館にはコンクリート作りの普通の中国式招待所風の棟と、バンガロー風のこじんまりした建物の2種類があり、外国人はバンガローに泊るようになっていた(と思う)。
洗濯をしてから、外に出る。通りの端まで歩いていっても、たいした距離ではない。実に小さな町なのだ。歩いたり自転車に乗っている人も少ないし、泰族の女性たちは自転車に乗っていても身のこなしが優雅である。ガサツな人が多い漢族とは大違いだ。人々の話し声もごく普通で不快ではないし、何より怖くない。漢族は生存競争があまりにも激しいので地声が大きく常に「自分だけが!」と自己主張するようになってしまっている。それがうるさいし怖い時がある。でもここでは漢族すらもおとなしく見える(漢族ではないのかもしれない)。

賓館の向かいに小さな食堂があった。入って行って、「ミェンティアオ」と麺を注文する。この一言ができれば、中国で生きていくことができる。ともかく麺が出てきてくれる。
しばらくして出てきたのは、日本のラーメン鉢を思わせる大きさの丼と、それ一杯の湯麺だった。中国で麺を頼んでも、丼は日本のそれよりずっと小さいので、まずその大きさに驚いた。そして、その麺がまるで日本のきしめんそっくりなのに、驚いた。そして、それがとてもおいしいことに、一番驚いた!
「まあ食える」程度の麺しか食べたことがない私は、初めて「おいしい」と言えるものに遭遇したのである。ちゃんとモヤシやニンジン、肉までのっているこの麺。正式には「猪肉湯麺」というそうだ。

景洪の暑さ、人の少なさ、静かさ、熱帯特有ののーんびりした空気、それらもすっかり気に入っていたのだが、この湯麺によってさらにそれが深化した。その後も何度も足を運んだので、3日目からは店員は私を見ると「ミェンティアオ!」と叫ぶようになった。おかげで私はただうなづくだけでいいようになった。

自由市場

賓館の前をブラブラ歩いていくと、自由市場に出る。入口に白い象がいる。もちろんつくりものであるが・・・。
ズラリと並ぶ生鮮食料品。まずはザル一つ、籠一つで商売する果物売り。続いて肉屋のオンパレード。机の上に並ぶのは、今解体されたばかりの、新鮮このうえない肉の固まり。内臓、頭、目玉なんかもある。その奥は野菜売り。そして豆腐、漬物、果物・・・と並んでいる。
売り子の種族が様々なら、買い手も様々だ。漢族はもちろんのこと、固有の衣装を着た少数民族が籠を下げて買い物にいそしんでいる。あちこちで、打々発止と値段のかけあいをやっている。
そんな一つに首をつっこんでみると、買い手の漢族のお姉さんが、「1束7角だって言うのよ、高いでしょ」と加勢を求める。「あ、そうなん?」とやっていると、売り子のタイ族のおばさんが、「あんた、欲しいなら持っていきな、7角だよ、どこも同じだよ」とやり返す。いや、私は、ニラは買えませんすみません……。

おこわ売り。紫米飯を買った

さらにブラブラ歩いて、出口近くでしゃがみこむタイ族のおばさんから、パイナップルを3個買った。1つ1元。3個買うとまけてくれて全部で1.5元だった。1.5元は1元5角、イークァイウーマオ、と読む。この頃のレートで大体35~40円くらいだと思う。
居心地のいい宿と、穏やかな人々。おいしい食べ物と、暖かい気候。どこかに似ている、以前どこかでこんな暮らしをした。・・・そうだ、ポカラだ。カトマンドゥよりさらにさらに穏やかでやさしい町、ポカラ。ここは中国のポカラのようだ。
ミエンティアオを食べて宿に帰り、パイナップルを切って部屋の外に出て、陽だまりで座り込んで食べる。いいなシーサンパンナ、気に入った。

大孟龙、祈りの仏塔へ

朝早く、景洪を出るバスに乗った。私の中国経験では最悪の、ボロバスがよたよたと田舎道を走る。バスの中には子豚とあひるが仲良く乗っていた。
東南アジアに水かけ祭というのがある。ここシーサンパンナも4月には祭を行う。その際に祭の中心となる白塔、そこに行こうとバスに乗ったのである。目指すは大孟龙(ターモンロン、モンの字は正しくは孟+力、龙は龍の簡体字)という村、景洪から3時間程のところにある。
村に着いた。小さな村なのに、大変な賑わいだ。とはいえメインストリートはせいぜい50mほどだろうか。バス停から何となく賑やかな方に歩いていくと、道の真ん中に立派な象の像があった。
たくさんの人が歩いているが、商店は数える程しかない。道端の物売りも、チラホラ程度。お祭りなのだろうか。流れに従って歩いていくと、右手に丘が見えてきた。人々が登っていくので、ついて行く。すると、すぐに白塔に出た。裸足になった人々が、塔の回りを巡っている。手に持っているのは、稲の穂だろうか。

道はなおも上に続き、大勢が登っていく。今日はどうも、特別の日のようだ。私もどんどん登っていってみた。すると、丘の上にさっきのものよりさらに大きな白塔がそびえていた。塔の回りは広場になっていて、そこに入るには裸足にならなければいけないようだ。私も靴を脱いで、上がらせてもらう。塔の回りを、人々が途切れることなく巡っている。大人も、子供も、何か手に捧げ持っていて、一心に巡っている。仏教であるから、当然時計回りである。

大きな仏塔
礼拝する人

今到着したばかりの一団は、まず広場の隅に荷物を下ろし、そこで膝まづいて礼拝する。そして荷物の中から捧げ物(?) を取り出して全員に配り、おもむろに塔を巡り始める。子供たちは精一杯着飾り、女性は白いブラウスに黒のサロン姿が多い。元気に巡るのは、オレンジの袈裟を着た小坊主の一団だ。よく晴れた青空に、白塔が輝く。

右手に祈る対象を見て回る、仏教の祈りの道
子どもも祈る

祈る姿は、それが何教であろうとも美しい。他人を寄せつけない強さと、そして同時に他人を包み込むやさしさを持っている。よそものの私を、黙ってうけいれてくれるやさしさ。だが、決して踏み込めないと私をして感じさせる強さ。あるいは民族の誇り。

長い時間、端っこに座って人々を見ていると、西洋人が現れてびっくりした。年配のアメリカ人でしかも自転車マンだった!

白髪の自転車マン

美しい村だった。
今地図で確認してみると、ここは本当にミャンマー国境に近い。あと10kmあるかないかの距離だ。よく開放されていたと思う、この時期に。