シーサンパンナから昆明へ~1989.10-12中国旅行の7

町はずれのバンブーハウス

昆明からここまで一緒だった近大の学生さんを巻き、賓館を出て町の外れにあるゲストハウスに移動した。当時の中国で、このようなものがあること自体非常に珍しいと思う。他の町でこういうものを見た記憶はまるでない。
宿は泰族の民家だった。高床式で床下部分は台所と食堂になっている。客が泊まるのは2階の部屋で、1部屋4人だったかのドミだった。トイレ1か所、水のシャワー(というかホース?)1か所、10人くらい泊れたかな、どうだっただろう。小さな宿だった。
1泊4元だったと記憶している。3食食べて、おやつなんかを買っても私なら10元で賄えた。ビールも飲まないし、特別なものは食べないから。10元は300円を少し割るくらい。当時の中国の物価は本当に安かった。

移動した時のバンブーハウスは、いい雰囲気だった。泊まっているのは日本人だけだった気がするが、穏やかな人が多く、嫌な感じはしなかった。滅多に日本人宿には泊まらない私だが、ここはいいなと思っていた。私は1週間くらい滞在してから昆明へ戻ろうかなと考えていた。2日、3日、と何事もなく楽しく日が過ぎていく。

雰囲気が変わったのは、自称・辺境カメラマンが2人組でやって来てからだ。彼らは自分たちの「非開放破り」について得々と大声で語った。
この頃の中国は、開放都市と非開放都市に厳密に分けられていた。[ここは開放都市だ]とリスト(在日本中国観光局に行くともらえた)に載っていない場所はすべて非開放である。当然ながら圧倒的に非開放の場所が多い。バスに乗って知らずに通過していることもあると思うが(それは違法ではなく怒られることはない)、普通の人は非開放の場所にわざわざ行くことはしない。
この二人は、わざわざそれをやるのだという。そして写真を撮って来るのだが、女性が川で水浴びをしているところとか、そんな写真が多いそうだ。ただのエロ野郎だろう。
でも若い旅行者(自分だってそうだが)には魅力的、かっこいいと写るのか、いつの間にか宿は未開放破りの指南道場のような雰囲気を呈し始めてしまった。

こいつはさっさと出るに限る。
彼らが現れた翌日には、私は荷物をまとめて宿を出た。賓館に戻ってもいいのだが、迷った末に昆明へ行くことにした。

ゲストハウスの写真は撮っていないようだ。代わりに、その近くで行われていた結婚式の写真。

昆明へ、まさかの1元宿に泊まる

版納賓館で昆明行きのバスチケットを買った。午後に1本バスがあるのは知っていた。
バスの出発まではかなりの時間があった。最後の食事を例のミェンティアオレストランで、もちろんもちろんミェンティアオを食べてすませると、まだ時間があった。私は賓館の裏へ行ってみた。そこからメコンが見えると聞いていたからだ。

遠くにメコン

なるほど、メコンが見えた。ブーゲンビリアが満開で、少し曇った空は今一つだったが、南国最後の景色として強く焼きついた。

賓館の前の道端でバスを待っていると、受付のお姉さんが出てきて何か言った。何度も言い直してくれてようやく理解したのだが、
「私がここで待っているから、あなたは中の椅子に腰掛けて待っていて下さい」
彼女はそう言っていた。外国人が道端に立っているのがかわいそうだったのかもしれない。私は言われるままに中に入って、呼びに来てくれるのを待った。
予定の時刻を少し過ぎた頃、勇ましいサンダルの音が聞こえ、あ、と立ち上がった私に、
「来ましたよ!」
彼女はそう叫んだ。そして私がバスに乗り込むのを見届け、さらに座席番号を運転手から聞いて何度も何度も教えてくれた。ここで乗るのは私だけだった。まだ座ってもいないのに発車するバスを、彼女は大きく手を振って見送ってくれた。私も、席のことなど放っておいて、手を振った。
ありがとう、お姉さん。あなたを忘れないよ。この日の日記はこう終わっている。

昆明へのバスは2泊3日だ。1日目はおそらくだが普洱で泊ったのではないかと思う。この頃のバスは決められた場所(多くはバス駅)に停まり、乗客は全員そこに併設されている宿に泊るのが普通だった。乗客に選択肢はなかったと思う。あちこち泊まられては翌日の出発時にトラブルが起きるからだろう。2日目は青竜という町というか、ただバス駅があるだけの場所だった。他の乗客に混ざって宿泊の登記をするのだが、値段が1元で驚いた。中国でのそれまでの最安値は4元だったと思う。3元がどこかであったかな、前年の敦煌とかでもしかしたらあったかもしれない。しかし2元はない。1元ならなおのこと。
宿は簡素な招待所。コンクリートの無機的な建物で、2段ベッドが3台入った部屋だったと記憶する。男女は別だ。トイレや流しは別にある。荷物を置くような場所もなく、本当にただベッドがあり、大きな机が1つあってそこにポットと湯飲みが置かれているだけの場所。
それでも私はこういう招待所が嫌いではなかった。
深夜、何かの気配に目を覚ますと、隣の寝台の母親が小さな子に洗面器でおしっこをさせていた。そんなこともごくごく当たり前で驚くようなことではない。洗面器は確かに共用だが、そもそもが綺麗だと思っていないので特に問題はない。

中国やインドを個人で旅行すると、衛生観念のようなものはかなりおかしくなると思う。

因みにこの時のバスは本当におんぼろバスで、サスペンションがなかった。乗客が自分の体をサスにして大事な頭部などを守らなければならず、ものすごく疲れた。バスは3日目の午後そんなに遅くない時間に昆明に到着した。

昆明の市場
砂糖を売っていた

昆明の茶花賓館にいると、景洪からカンランパに同行したおじさんが到着した。私が市場で買ったこの砂糖を見せると、彼は「自分は豆を持っている」と言い、その豆を砂糖と一緒に煮始めた。煮ると言ってもコイルヒーターなので、うまくいくんだかいかないんだか。結局、豆はそこそこ煮えたもののまったく甘くならず、甘くない豆を皆で食べた記憶がある。