大理へ~1989.10-12中国旅行の8

昆明から大理へ

大理という町が昆明からバスで10時間ほど離れた場所にある。この町のことも前年のシルクロードでよく耳にした。カシュガルのチニワク賓館の4人部屋ドミで一緒になったオーストラリア人3人組が雲南を通過して来ており、スーザンと言ったかな、藍染めの絞りのスカートを着ていた。素敵と褒めると
「これ7元だったのよ! あなたも行くべき!」
と言われた。残る二人もすごくいい所だからぜひ行けと声をそろえた。
版納賓館で知り合ってその後何度か分かれたり会ったりしていたおじさん(そろそろ他とわからなくなるのでHさんとしよう)は、シーサンパンナに下りる前に大理に寄ったらしかった。面白かったのでまたそこに戻るというので、では一緒に行きましょうかとミニバスのチケットを買った。この頃、大型バスとミニバスの2通りがあり、ミニバスの方がすこし高くて断然速かったと思う。バスが茶花賓館に来た時には既にほぼ満席で、いちばん後ろに2席空いていた。ここは撥ねるのでできれば避けたい席だが、他にないので仕方がない。
満席になってもバスはまだ客を乗せる。おそらく違法で運ちゃんのお小遣い稼ぎ。奥へ奥へと立っている乗客が詰めてきて、ついに一番後ろまで。そのおばさんは大きな籠を持っていた。Hさんが「俺が持つよ」と取って上げようとすると、おばさんが慌てて「チータンチータン」と言う。因みにHさんは中国語が私よりできない。
「卵が入ってるらしいですよ、気をつけて、と言ってる」
「わかった」
Hさんは籠を膝の上に乗せて、おばさんが下りるまでずっと持っていてあげた。

隣の席に座っていたおばさんが、私たちにパンをくれた。みんなどこまで行くのだろう。籠のおばさんは1時間ほど乗って下りて行った。

バスは下関(シャーガン)を経由する。ここで半分くらいの人は下りた。大理まではあと30分とかそんなものだ。因みに大型バスは大理までは行かずここ止まり。ここで大理行のミニバスに乗り換える。

大理の楼門 内側から見ているような気がする

大理は城壁に囲まれた昔ながらの中国の街の造りをしている。遠い昔は大理国という立派な国であったが、明の時代に滅んでいる。白族という少数民族が多く暮らす場所だ。

大理といえば第二招待所。第二と言うからには第一もあったはずだが、記憶にない。多くの旅行者は第二に泊っていたのではなかろうか。

第二招待所があった路地

第二招待所はこの先だったか、あるいはちょうどこの左手にあったのか、既に記憶はない。二招は路地から門のようなものを入り、中庭があり、向こうにコンクリの宿泊棟があり、外トイレが左手にあったはずである。おそらく建物内にもトイレはあったのだろうが、外人向けに洋式が1つとかだったのではないか、私は人気のない外トイレが好きだった。
南の楽園から上って来た身には寒かった。

メインストリート 二招からこの道に突き当り、右へ行けば楼門、左に曲がる角に石鍋屋があった

シーサンパンナにも若干その気配はあったが、大理はさらに色濃く、外国人旅行者の巣のような雰囲気だった。そういえばシーサンパンナでは西洋人を見た記憶が殆どない。さすがにそんなはずはないと思うが……。
第二招待所を一歩出れば、周囲には英語や日本語の看板を出す小さな食堂が並んでいた。英語や日本語の看板、このたった1つのことですら、他の場所では見たことがない。上海や北京でも見たことがない。たしかこの頃、街中の大きな看板が英語表記であることは認められていなかったと思う。海外のどんな企業も、自分の社名を中国語に当てて掲示しなければならなかったはず。そんな国の中で、ここでは朝飯にパンケーキとか、コーヒーとか、そんな「中国ではまじでありえねぇ」ことが実現する。バックパッカーが溜まってしまうわけである。

現在の大理にはうようよいる中国人旅行客も一人もいない。当時の中国では、普通に旅行している中国人なんていなかったのだ。彼らが動くのは出張くらいのもので、それにかこつけてほんの少し観光らしきものもする。特にこの天安門後の時期、列車の切符を買うには「所属単位」が発行した証明が必要だった(だから外国人は買えなかった)ので、国内を移動している中国人は全て公用の人であったと思う。例外は無論あったと思うが。
カトマンズの雰囲気にも近い。外国人が溜まるレストランに地元の人間は客としてはいない。そういう独特の雰囲気が当時の大理にはあった。相変わらず主要7か国サミット参加国、人数が多い順に日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、この辺りの国の人間しかいない。本当に特異な時空間だったのだと思う。

そんな一軒で近大君に再会した。気まずそうだった。私とHさんが彼を巻いて宿を移ったことを根に持っていたらしく、散々ここで悪口を言いふらしていたらしい。まぁ、巻いたことは認めるが、そんなこと旅してれば日常茶飯じゃん? 私は君のお守りじゃないんだし。
まぁそれはいい。
Hさんも前に来た時に知り合った人と再会できて楽しそうだった。大理には何か月も住んでるような変わった人もいた。宇宙人と呼ばれている人もいたと思う、たぶん会ってもいる。別に変な人じゃなかった(^^;

何年も経って、2008年頃だったか、ラオスを旅した時に日本人の若い旅行者とビールを飲んだ。その時に遠い昔の大理の話をしたところ、
「え! え! 伝説の、大理ーズの方だったんですか!」
と訊かれて驚いた。大理ーズって……(苦笑)。確かに、大理に巣食っていた中にそう呼ばれてもおかしくなさそうな人はいたかもしれないが、私はそんなに長く大理にいなかったし、その名には値しないよ全く。

白い壁の家並が続く大理の町はずれ

大理の街から歩いて行くと、洱海(アルハイ)という湖に出る。小さな手漕ぎの船で魚をとっていたりする、のどかな場所だった。
その逆の方向には山が連なっていた。宇宙人さんはたしかこの山に、サンダルで登ったんじゃなかったっけか(^^; 大理自体が標高2000ほどの高地にあるので、後ろの山は3500は平気でありそう。やっぱり変な人かもな。
うろ覚えだがハッピーという名の食べ物屋に日本人の旅行ノートがあり、宇宙人さんのサイン入りの登頂報告があったような、ような、ような、気がする。

ハッピー、ではないかと思われる店内で

溜まってたパッカーたち。真ん中が宇宙人氏ではないかと(^^; 寒いのに裸足だし。いや違うかなぁ、もうまったく記憶がない。
カフェだなんだと言ってもまぁこんなもん。こんなもんなんだけど当時はほんと、広い中国どこをどう探したってこんな場所は他にはなかった。

(この項は2022年1月記)