1989中国北から南までぐるぐる シーサンパンナへ 1989.10-12中国の旅④ シーサンパンナへ シーサンパンナは、中国の楽園だ。昨年敦煌で出会った青年が、そう言っていた。シーサンパンナは、その時から私にとって憧れの地となっていた。こんなに早く、そこを訪れるとは・・・。 シーサンパンナ、漢字で書くと西双版納、泰族自治州... 2021.12.29 1989中国北から南までぐるぐる
1989中国北から南までぐるぐる 雲南省・昆明~1989.10-12中国③ 旅を終えてすぐにまとめておいた文章が出てきたので、ここからそれを優先して書いていこうと思う。文体が変わるのはそういう理由である。 昆明、そして石林 昆明、雲南省の省都。気候は年間を通じて穏やかで、人間もいたって穏やからしい。昨年のシルクロー... 2021.12.25 1989中国北から南までぐるぐる
1989中国北から南までぐるぐる 北京から桂林へ~1989.10-12中国② 北京で八達嶺一日ツアーに参加する 天安門でおそろしい目に遭ってすぐ、専科さんは職場に戻って行った。とにかく北の人間は性格が悪く、何か尋ねているのに皆まで聞かず「ブーチータオッ!!!」と吐き捨てながら去っていく、という話が面白かった。「不知道... 2021.12.24 1989中国北から南までぐるぐる
1989中国北から南までぐるぐる 2度目の中国 1989.10-12 ① 3月にネパールに行き、4月に香港と那覇を経由して帰国した。那覇に着いたのは4月も半ばを過ぎた頃だったと思う。その年の4月から日本に初めて消費税が導入されていた。商店でものを買うと3%余分に払わなければならない。慣れずに何度も「え? あ、そう... 2021.12.23 1989中国北から南までぐるぐる
1989春のエベレスト街道 2度目のネパール、初のエベレスト街道 1989年3月 前年の暮れに帰国してから3か月も経たないうちに、再びネパールへ行くことになった。 私は大学3年になる時に就職して半分社会人のまねごとをしていた。大学に行きながら働ける珍しい職場で、就業時間は午後3時45分から9時だったと思う。週に1日だけは... 2021.12.22 1989春のエベレスト街道
1988ネパール&インドぐるぐる 再びネパール、ランタン谷へ コルカタからカトマンズへは飛行機で。パラゴンに泊っていた2人の男性がたまたま同じ便で、一緒に動いた。カトマンズに到着すると夜だった。まばらなオレンジ色の灯りが点々と見える風景が懐かしく、戻ってきたなと思った。インドはとにかくうるさく忙しなく... 2021.12.18 1988ネパール&インドぐるぐる
1988ネパール&インドぐるぐる 初インドは陸路で 1988年11月 ネパールに入ってから1か月半近くが経った。ポカラは小さめでいい町だったと思う。アンナプルナでの初めてのトレッキングも、問題は多々あったものの何とか無事に終えることができた。ただ自分の体力のなさにかなり驚いたのも事実で、今回はエベレスト街道は... 2021.12.17 1988ネパール&インドぐるぐる
1988ネパール&インドぐるぐる アンナプルナルートのタトパニまで 1988年10月 カトマンズからポカラまでバス移動 実はこの年、ネパールに向かったのはエベレスト街道を歩いてみたかったからだった。しかし入ったのが9月半ばとまだ早すぎ、雨季が長引いて飛行機も飛ばないという。それなら西のポカラに行き、アンナプルナの周辺をちょろ... 2021.12.15 1988ネパール&インドぐるぐる
1988ネパール&インドぐるぐる ネパール~インド~ネパール 1988年9~12月 ① カトマンズ イン&アウトのみの地図 地図上の青いポイントは、西がアンナプルナトレッキング、東がランタン谷トレッキング 旅の経路 成田~バンコク~カトマンズ~ポカラ~アンナプルナ・トレッキングちょこっと~カトマンズ~バラナシ~デリー~コル... 2021.12.15 1988ネパール&インドぐるぐる
未分類 2020北海道の旅③ 帰路の東北編 函館からフェリーで青森へ渡った。青森港に入るとタグボートが接近してきた。 青森市街と海 八甲田の山並み 後藤房之介軍曹の像 八甲田山大量遭難事故の際に、奇跡的に生き残った人の銅像。210人のうち11人しか生還しなかった、まさに死の行軍だった... 2020.10.05 未分類