カラ・パタールを後にする
早朝に登ったカラパタから下りてきたのは10時過ぎだった。ゴラクシェプの泊った小屋でララヌードルを食べ、11時に下山開始。ロブチェまでがけっこうきつかった。
ロブチェで昼ごはん兼友人待ちをしたがなかなか下りてこないので、先に進む。
2時にロブチェ出発、3時トゥクラ、4時ペリチェとぐんぐん下りた。ペリチェは霧の中で寒かった。往きに3日かけた行程を帰りはわずか半日だ。
翌日はパンボチェまで。正午過ぎには着いてしまう。先に進むことももちろん可能だが、友人を待っている都合もあってここで一泊。友人は来なかったのではないかと思う(記憶にない)。すごく感じのいいバッティに泊まれて楽しかった。ここで初めて洗面器にお湯をもらい、手や顔を洗った。何日ぶりだ……(^^;
翌日、友人へのメッセージを残して出発。デボチェの小屋に寄る。一家が喜んで出迎えてくれた。去り際、尼さんに挨拶しようと思ったが外で何やら真剣に作業中だったので、声はかけずにそのまま歩き出したら、20mほど歩いたところで後ろから「ナマステ~!」の声が。振り返ると尼さんが道に飛び出してきて、手を振ってくれていた。こちらも「ナマステ!」と叫び返して手を振る。
タンボチェで待っていると、友人が到着。ポーター君も一緒だ。もうこんな機会はないかもしれないのでゴーキョへ回ると友人。びっくりしたが、そうか~そうだね、とここで友人といったん別れることになる。
カラパタからゴーキョへは、ショートカットできるコースもあるが、友人とポーター君ではちょっと難しかったのだと思う。タンボチェまで下りて、別の道を登り返すような形になるが、ずっと安全な道だ。
そんなわけで翌日、友人とポーター君を見送ってからナムチェを目指した。9時過ぎにタンボチェを出てひたすら下り、谷底でララヌードル(これしか食べていないのかというくらいララヌードル)。登り返し始めた途中で、向こうからデボチェの尼さんと娘2人が荷物をたくさん背負って歩いて来るのに行き会った。お互いわーわー騒いで再会し、そして別れた。
ナムチェ着3時半。
ナムチェには2泊した。完全休養日。葉書を書いて出しに行ったり、ホテルでアップルパイを食べたりしたらしい。この時、ナムチェのホテルに払った2泊分が460Rs。1人分か2人分かちょっとわからない。
ナムチェからルクラへ、カトマンズへ
9時にナムチェを出発。ナムチェ坂をぐんぐん下っていると向こうから日本の女性が2人登って来た。
「ナマステー!」
「こんにちは!」
とすれ違い、10秒ほどしてから女性たちが二人で
「やだ日本の人?」
「黒こげだからわかんなかったわ!」
と笑う声が聞こえて、こちらも爆笑してしまった。
さらにこの坂では、友人についてくれたパサン君の兄に会ったようだ。記憶にはない。
ジョルサレのゲート手前で日本人「山本君」という人に会い、一緒にフライドヌードルを食べ、パクディンまで同行したようだ。これもまったく記憶にない。
パクディンのナマステロッジの隣でケーキを食べた後で「山本君」を見送った、と日記に書かれているので、彼はその日のうちにルクラを目指したのだろう。彼とはその後ルクラでは会っていないようだから、ジリまで徒歩で下る人だったのかもしれない。「山本君」お元気ですか。
パクディンのフレンドシップホテル、ドミが5Rs。
さて歩きの最終日、パクディンからルクラ。
下りだから楽ということは全然なくて苦労する。下り道もあれば登り道もある。途中、飛んできた飛行機が旋回してUターンしていくのを見る。1機キャンセル……。
ルクラ到着。前年に田部井淳子さんがテントを張っていたヒマラヤロッジに行ってみる。今回もそれなりに飛行機のキャンセルが出ていて、チケットのない我々は数日は待つことになりそうだ。ヘリが来てお客を乗せて飛んでいく。ヘリの値段は100~150ドルらしい。ここの主人が有力者だとカトマンズの友人に聞いているので、「なるべく早めに帰りたいです」と伝えておく。
夕方、航空会社の事務所に行くと混雑している。みなオープンチケットまたは片道で入ってきているので、帰りの便を押さえるのが大変なのだ。私たちも片道だったのだが、購入ができない状況だ。ウェイティングリストには乗せてもらったが、3ケタではなかなか。私は前年11日待っている。今回はそんなのは嫌だなぁと思う。上で見ていた青年海外協力隊員たちも見かけた。
夜、宿のオーナーが手招きしているので行くと、明日の便に乗せるよ、1人〇〇ドルだけどどうする? と訊かれたので、即決でお願いした。明日の朝6時に起きて7時には出られるようにして、と言われ、就寝。
翌朝、7時前に全て完了して下でお茶を飲んでいると主人が来て、私とオット氏の荷物を持って空港に出かけて行った。そして帰って来ると私たちにボーディングパスを渡してくれたのだがそれがセカンドフライトで、しかもぜんぜん知らない外国人の名前になっていた(!)
Mrs. Switver
というのがその名前だった。「呼ばれたら返事してね、Yes、ってね!」とオーナーに言われ、空港に向かう。もうチェックインは済んでいるので呼ばれるまですることはなく、ただ待つ。
ヘリと飛行機が2機ずつ飛んできた。空港内ではドル札が飛び交っている。ヘリに乗る人が今席を買っているのだろう。上乗せで席を買う人もいるのかな、でもここで? それはないような気もする。やるならやはり宿などで、だろう。乗れる人、乗れない人、空港内は騒然としている。さらに1機大型ヘリが来た。イタリア人グループがバタバタと走って行った。
「Mrs. Switver! Mrs. Switver!」
私の名前が呼ばれている。
「Yes! I’m here!」
スタッフがうなづいて手元のリストとパスを照合し、滑走路に出るよう促した。滑走路では乗務員がこちらに手を振っている。急いで行って乗り込んだ。数段のタラップを上りながらふと金網の外を見ると、例の4人組がぼんやりこちらを見ているのが見えた。ざまみろ、と思ったか思わなかったかそれはもう記憶にはありません!
(^^;
というか、どっからどう見ても、私、Mrs.Switver じゃないよね…………!
と最後は笑い話になってしまったが、エベレスト街道2度目の挑戦で完歩の旅が終わった。初めての5000m越えだった。
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