1988中国シルクロードの旅(6)カシュガル2

カシュガルにバスが滑り込んだのは、3日目の夜遅く。
全身砂だらけで疲れ果て、最後に隣に座った初老の男性に誘われるまま同じロバ車に乗り、「いちばん安い宿」と連呼して町外れのチムニバ賓館に行ってもらった。この男性はどこに行くところだったのか、私を乗せて遠回りになりはしなかったか。3元と決めて乗ったのだから私の払い分は1元5角。しかし男性は頑として受け取らず、私を賓館の鉄扉の前に残して走り去っていってしまった。

チムニバ賓館の鉄扉は夜にはぴたりと閉ざされる。真夜中にそこで下ろされた私は必死にその扉を叩き、大声で「すいませーん! ハロー! ニイハオー!」と叫んだのだが、誰も門を開けてくれなかった。このままここで夜明かしか・・・、と思ってあきらめて、10分ほど座り込んでいたところに、ロバ車が通りかかった。この御者の少年はいいヤツで、私の状況をすぐに飲み込むと、ひらりと鉄扉によじ登り、どこかからか門番を連れてきてくれた。
おかげで私はなんとか野宿を免れたのだが、この少年の写真も撮っていないのだ、後で気がつけば。


そうして転がり込んだのが4人部屋の1ベッド。ほかのベッドにはオーストラリアからの3人組(男・女・女)がいた。1ベッド4元。
帰国後、この写真を見た友人は、
「オマエ、何やったんだよ・・・・・・」
「え、何って、なに?」
「これ、留置場じゃないのかよ」
うーん・・・・・・。
たしかに、留置場ではないにしても(鉄格子もないし)、これがホテルの部屋だとはちょっと信じ難いか。
チムニバ賓館(チニバクと言う人もいて、未だにどっちかわからない)のこの部屋は平屋の長屋づくり。トイレは歩いて3分ほどかかる遠くにあった。
当時、パキスタン国境へ向かうバスは、ここから出発していた。たしか曜日が決まっていて、その時間に見に行くと、屋根の上に家電製品を山積みにして、パキスタン人たちが帰っていくのだった。
パキスタン人たちは別の棟に固まって泊まっていたが、コンロを持ち込んで自炊していたようだ。前を通りかかるとよくチャイをご馳走してくれた。ご飯時に通りかかってご飯を振る舞われたときは、後で同室のオーストラリア人に「知らない人にご飯を振る舞われてはいけません」と説教されたなあ。

私が通りかかるのをいつも見張っていて、ずっと後からついてきて、市場で私が物を買う時などにはさっと登場して代わりにお金を払ってくれたりする、変なパキスタン人もいた。今の言葉で言えばストーカーだ。そういえば部屋にもよく来ていたようだ。オーストラリア人が追い払ってくれていたらしい。帰国の朝には、ガラスでできた指輪をくれた。変な人だったが私に何ら被害はなく、今となっては懐かしく思い出したりもする。もちろん彼には下心もあっただろうけれど、それを露骨にしたことは一度もなかったから。

バザールの中だろうか、それとも日曜市場の中か。
大鍋で作っているサフランライスと羊のチャーハンのようなもの、を商う店。
ここで待っていると、人混みの中、ウイグルの男にズバッと足を踏まれ、男はにやにやしながらその足を除けず、驚きながら頭にきたことを思い出す。その時私は欧米人を連れていた。町で知り合った人だったか、同室のオーストラリア人だったか、もう忘れたが。彼らウイグルの人から見れば、私は欧米人を連れて歩く漢族のガイドに見えたのではなかろうか。私を日本人、あるいは外人と判断して見せた敵意ではなかったように思う。

街を歩けば人々の視線が突き刺さる。一見して外国人とわかる欧米人に対するより、はるかに強い視線が漢族にそっくりの私には降りかかった。トルファンは当時かなりの日本からのパックツアーが入っていたせいだろうか、そのように怖い、痛い思いをした記憶はほとんどない。カシュガルはやはり特別だった。ここは本当に、完全に、ウイグルなどイスラム系の人々の土地なのだった。


しょうもない写真だが、当時毎日食べていたこの地域のパン。市場では山積みにして売っていた。非常に硬く、これだけで食べるのは一苦労。現地の人もお茶に浸しながら食べていた。硬くて重いかわりに中身ぎっしり、穀物そのものを食べているかのようだった。

私はカシュガルに5泊もしている。あまり連泊せずに動いていく旅にしては、長い滞在だ。
迷路のように入り組んだカシュガルの旧市街を、あてもなく歩き回った。とはいえ、あまり深入りすると怖いので、いつもエイティガール寺院の方向は覚えておいて、あまり遠ざからないようにはしていたが。職人街があり、金属の箱や何かの道具をトンカントンカン作っていた。帽子の工場ばかりある一角もあり、そこではあの半球形の帽子をたくさん並べて飾っていた。ナイフの工場ばかりある一角もあった。買え買えと言われたが、ナイフには興味もなく……。いま思えばうんと小さいのを1本、買っておけばよかったと思う。

このカシュガルの旧市街が、取り壊されるのだという。もう工事が始まったと、どこかの記事で見かけた。
黄色っぽいとも赤っぽいとも言えそうな乾いた土の色一色の、迷路のような旧市街。どこを歩いても痩せた犬がいて、ヤギがいて、道路はどこもウンコだらけだった。汚くて嫌だと思いながらも、なぜあんなに歩き回ったのか、ただの1枚も写真も撮らず……。

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