1988中国シルクロードの旅(8)ウルムチ

2020年6月23日

カシュガルからウルムチへは、国内線で飛んだ。もう一度バスで……、というのはどうにもしんどかった。たしかトルファン~カシュガルよりも、ウルムチ~カシュガルの方が余分に時間がかかったような気がする。もしかすると3泊4日とか。それはもう、ちょっと勘弁、だった。
航空券は378元、FEC(ワイホイ)払い。当時の1元は約35円だったから、1万3千円以上か……。よく買った、よほどバスが嫌だったのだろう。
飛行機は予定の日には飛ばず、翌日あらためて空港へ。
何もない滑走路の向こうに、雪をいただいた山脈が見えている。おそらく、あのあたりがパキスタン国境なのだろう。パキスタンへ抜けてもよかったなと思いつつ、どちらかと言えば今は帰りたい気分のほうが優勢なのだった。

カシュガル空港でございます

そういえばこのカシュガル空港には2度行った。天気はこんな風に晴れていたのに、到着するウルムチが天候不良だとかで飛ばなかったのだ。
「こんなに天気がいいのに!」
とゴネると、その場にいた人全員に大笑いされた。よほどおかしな中国語を話したに違いない。結局町に戻り、翌日出直した。

空港の待合室で日本からのツアーの人々と知り合った。年配の女性が多い10人ほどの団体だった。12日間で中国内のシルクロードを回るツアーで、ざっくりで50万円くらいという話だった。私が1人で来ていると知ると、皆に取り囲まれて質問攻めになってしまった。親切な人たちで、親が心配しているだろうからと、到着したウルムチ空港で私の写真を撮り、帰国したらすぐに送ってくれると言ってくださった。


駅から近い新疆飯店(ちょっと自信がない)から、ウルムチ列車駅を見る。
近そうに見えるが歩くと結構ある。たしかトロリーが走っていて、1駅か2駅だったと思う。でも多分、私はこの距離は歩いていた。

天地へ行く

ドミで隣だった香港の男の子に教えられて、天池に行くことにした。親切な彼が連れて行ってくれて、いわゆる「一天遊」(日帰り)のツアーバスに申し込む。翌朝来たバスはトヨタのマイクロバスで、ひじょうに嬉しかった。天池までは3時間半。


馬に乗って散策したりも出来るのだが、私は1人なので、馬方さんと2人っきりで山の中に分け入っていくのは抵抗があった。というわけで馬には乗らず、自分でぷらぷらと散策することに。美しい青い湖と、雪をかぶった山。美しい。実に美しい。スイスみたいだ(行ったことはないが)。
これで中国人が所かまわずゴミを捨てていなければ、もっと美しいのだけれどね……(嘆息)。

馬がいる

 

帰る時間が近づいてトイレに行くと、同じ飛行機でカシュガルから飛んできたツアーの人々にまたお会いした。その人たちに見送られるような形でマイクロに乗り込む。往路よりも人数が増えていて、補助席しか残っていなかった、不覚。
それでもいいことはあるもので、最前列の補助席に座った私の前は、当然のことながらフロントガラス。帰路はその正面に常に天山山脈が立ちはだかっているのだ。パオがあったり、馬がいたり羊がいたり、不意にどこかからか馬に乗ったカザフの人が現れて、ひとしきりバスと走りっこをして、満足するとそのまま草原に去っていく。かっこよかった。

これは天池にあった観光用のパオ。宿泊できるのだと思う。
同じような白いかっこいいパオが、草原のあちこちに点在していた。
ここは本当に、ビルを作る漢族の土地ではなく、布のテントに暮らす遊牧民たちの土地なのだなぁと思った。

帰りのバスで一緒だった香港の人たちと一緒に、シシカバブを食べに行く。金属の串に刺して、日本の焼き鳥のようにしている羊肉だ。たっぷり唐辛子をふりかけて臭みを消して食べる。1本が少ないので、食べる人は何十本と食べるらしい。
それにしてもウルムチは欧米人や日本人がおらず、中国人だらけだ。中国人もしくは香港人。
香港人は複数で動いていることが多いのだけれど、概して非常に気さくで親切だ。ずいぶんお世話になった。ちょっと会って話しただけの人が、わざわざ私のホテルに寄って香港の地図をくれていったりした。まぁこれは、私が「香港は島である」ということを知らなかったので、ちと教育しようと思ったのかもしれないが。

ウルムチ市内を俯瞰できる展望台に上った。香港人たちに連れられて行ったと思う。なかなか一人ではこんなところには行かない。
いちばん高い建物はたぶん当時最高級だったホテルかと思う。

香港人に撮ってもらった

東へ向かう

ウルムチからは、敦煌のある柳園という駅まで、列車で行くことになる。何度かトライして、3度目にどういうわけだか翌日の硬舗(2等寝台)が買えた。51.9元、外国人料金でFEC払い。およそ1800円。予定では20時間弱。

ウルムチ駅の構内で、ずらりと並ぶ物売りの列の中でゆで卵とあんぱんを見つけて買い、さっそく食べると、速攻でお腹が壊れた。参った。
もうひとつ参ったことが。
駅からバスに乗ろうとして、当時中国全土どこででも繰り広げられた「降りるのも乗るのもわれ先戦争」に参戦したところ、あっけなく突き飛ばされて道路に転がり、その拍子に縁石にぶつけるか何かして、前歯が欠けた。最悪。中国のバスは、心底、大嫌いだ。

腹痛と下痢が治まらず、治まらないままに列車に乗るべき日が来てしまった。ようやく買えたキップ、何が何でも動きたい。這ってでも行くぞと決意だけは固いのだが……。
チェックアウトしようとすると、部屋のサンダルが1つ足りないと服務員が言う。6人部屋のサンダルが消えたからと言って、なんで私なの? だいたい私は自分のサンダルを持っているし。などと拙い中国語で言っていても埒が明かない。中国では先に「押金」(ヤーチン)という保証金を払っておくシステムもあり、ここではたしか5元を仮払いしていた。チェックアウトのときに問題がなければ戻るお金なのだが、結局、返してくれなかった。列車の時間もあり、私も自分の嫌疑を晴らすためにそこでザックをひっくり返すのは嫌だったし、そもそも体調が悪くて争うのがめんどくさかった。
こういうときは、中国、心底、大嫌いだ。

列車はほぼ定刻に発車。ゆるゆると走る。6人1セットの寝台で、私は下段だった。空いていて、数時間後には6人のスペースに3人になった。ひたすら横になって休んで過ごす。ときどき服務員がヤカンを持ってきたり、用のある人が取りに行ってくれたりするので、魔法瓶の熱湯は常に使える。お湯を飲みながら、ぼんやりと車窓から外を眺めて過ごしたり。眠ったり。
深夜、「はみ」に着く。同じスペースの2人が降りて、私1人になる。夜の間に何度かトイレに通ったが、下痢が止まらない。一気にやる気が萎えていく。結局、定刻より1時間以上遅れて、柳園に着いた。午前9時過ぎだったと思う。正午前に発車した列車なので、21時間かかったことになる。