もはやこの一帯はすべて激戦地であり、撤退路である
インパール作戦で命を落とした日本将兵は3万人を超えると言われる
遺体はおろか遺骨も遺品も戻らなかった人が大多数であろう
そういうエリアを行く、旅する
もしも出国できなかったら
バングラデシュ国境を越えようとした時に、「e-visaは陸路国境を通過できない」と言われ、インドを出ることができなかったことは既に書いた。
e-visaは、入国に関しては空路と海路に限定され、入国できるポートも決まっている。我々は事前に指定した通りにアメダバードで入国、ビザスタンプももらっている。
e-visaについては、かなり情報が錯綜しているようだ。私は大使館の記載を信じた。陸路でモレーからミャンマーへ出国できる、とそこには記されていたからだ。しかし同じように記されていたMahadhipurから、出国できなかった。これは伝聞ではなく紛れもなく自分に起きた事実であった。
モレーからも出国できないかもしれない。
そう考えるのが普通だろう。ネットで検索しても、モレーからe-visaで出国したという実例にはぶつからなかった。e-visaは陸路では使えない、という記載には多数遭遇した。インドーネパール国境では大丈夫なようだが・・・。
出国できなかったらどうするか。
私が考えていたルートはこうだ。
モレーからインパールへ戻り、隣のミゾラム州アイザウルへ向かい、チャンパイ、ゾクワダル、でもう一つのミャンマー国境で出国トライ。
そこでもダメなら同ルートを戻り、アイザウルまたはインパールから列車または空路コルカタへ。コルカタからバングラへ入り、ダッカでインドの普通のビザを買い、陸路アガルタラの国境を越えてマニプルへ戻り、シルチャルからインパール、そして再度モレーへ。
国境線上上の方にあるBがモレ―、もう一つのBがゾクダワル
さらにこれが、2度続けて越えられなかった場合にコルカタへ戻ってバングラ経由で同じ場所に戻り越えていくルート
今書いてみてもバカみたいなルートである。だがこうしない限り、今回のこの白骨街道の旅は終われないのだ。
これをやらなければならない可能性が、ディマプールにいた時点で6~7割だと踏んでいた。だから先を急ぐしかなかった。
本来、ナガランド、マニプールは最近になって完全開放されたエリアであり、時間をかけて旅したかった。グワハティで許可証を取り、アルナチャルプラデシュ州にも入る予定だった。今回はあきらめざるを得なかった。
もしバングラ国境に行っていなければ。
出国に不安を持たず、予定どおりに動いたかもしれない。
旅はこんなことも含めて、おもしろいのかもしれない。そう思うしかないわけでもあるのだが。
インパール平野から山道を国境モレーへ
インパール滞在は1晩。ホテル周辺以外どこにも行っていない。有名な市場にも行っていない。
今回はそれらすべてを横に置いて、とにかく国境を目指す。
宿の近くに国境行のスーモ乗り場がある。早朝、そこへ行ってみると車数台とドライバーが数人たむろしていた。既に若い女性2人が乗っている車を選ぶ。もっと乗せるかと思ったが、4人で出発となる。時間は7時半頃だった。
料金は1人300ルピー。スズキマルチの状態もよく、バンバン飛ばしていく。
日本のそれと違うのは、刈り取る高さだ。日本だとかなり地際で刈り取るが、こちらでは30センチくらい上で刈り取る。だから中途半端な高さで株がずらっと並んで見える。
車はやがて平野から山に向かって登り始める。
山のあちこちに、ソメイヨシノより濃いピンク色の花をつけた桜のような木があった。
今までどのエリアでも見なかった花だ。もともとこの地域にある樹木なのか、それとも持ち込まれたのだろうか。
街道沿いの家には時折ブーゲンビリアが南国らしい鮮やかなピンク色で咲き誇っている。
辺り一帯、目に入る場所のすべてが、おそらく誰かの墓所であろう。
もうダメだ、ここで終わりだ。そう思った最期の時に、せめて近くで花の一つも咲いていただろうか、そうであってほしいと思いながら桜を見た。
道は少しずつ国境・モレーに近づいて行く
未舗装だが山中で湿気があるため土埃はさほどではない。乾季でこれだから、雨季の泥濘は想像するに難くない。車、牛馬、人、何が進むにせよ難渋を極めたに違いない。
チェックポスト到着。パスポートがチェックされる。
日本人とわかると軍人は大喜びでウェルカムウェルカムと連発した。
パスポート番号とビザ番号が記録され、パスポートのコピーも提出した。友好的な兵隊だったので、山側の写真を撮ってもいいかと訊くと快諾してもらえた。
モレーまでの間のチェックポストは計5か所だったと思う。そのうちパスポートコピーを出したのは3か所。ほかはチェックのみだった。パスポートコピーは5セット用意していたが、足りてよかった。
国境が近づくにつれて兵隊の数が多くなる。道端にも普通に立っていて警戒している。カメラを出すのがまずく思え、かばんにしまう。
モレー到着
国境の村、モレーに着いた。スーモ溜りで降ろされる。ここから先、国境のイミグレへはオートに乗り換えるか徒歩になる。オートは一律1人100ルピーだそうだ。
一緒に来た女性2人は、モレーに買い物に来たと言っていた。いいものが安く買えると。ミャンマーから入ってくるものがあるのだろう。
因みにこの2人によると、モレーからインパールへの乗合スーモは500ルピーだそうだ。
イミグレの場所がわからず、オートに乗ると橋に連れて行かれ、あっちだよと言う。
いやいやこれはもう国境だろう、インドを出国せずにミャンマーに入るのはまずい。インドのイミグレに行ってくれ、とかいろいろあって、変な方向からインド側イミグレへ入った。
つまりこのへんゆるゆるなので、イミグレ経由しなくても国境をうっかり越えられたりするかもしれない。ご注意を。
丁半博打のインド出国
さてイミグレである。
問題のインド出国である。
イミグレの立派な建物に入ると、人はほとんどおらず閑散としている。
入国・出国のカウンターが隣り合っている。その横にはマニプル州入境許可証と書かれたカウンターがあり職員が無駄に3人もいる。マニプルはこういう手続きが必要だったらしいが、我々は何も申告せずに来てしまった。まずかったかなとちょっと不安になった。
まずどこに・・・、と考えていると後ろから「こっちですよ」と英語で声がかかる。ドアの横に人がいるのに気づかなかった。謝ってパスポートを出す。
Mahadhipurでは、この段階ではねられた。
実際の出入国カウンター(そんなものはなかったと思うが)には行っていない。事前審査みたいなところでダメ出しを食らったのである。
ドキドキする。
係官は手元のノートにいろいろ記入している。特に問題はなさそうな雰囲気だ。やがてパスポートが返された。
第一関門は突破した。
次にいよいよ正式な審査だ。
まずオット氏が行く。コンピューターに打ち込まれる音がする。
そこで不意に係官が顔を上げ、違うよというふうに手を振る。
え、ダメなの、やっぱりダメなの???
オット氏、謝っている。見るとパスポートが私のだ。
私が代わりに前に行き、写真を撮られる。
ポンポンと、スタンプをインキ台に叩く音。
そしてパスポートにスタンプが押され、返される。
「サンキュー、サー!」
かつてのどこの国境よりも心を込めて礼を言った。
インド出国できました。
オットも無事にスタンプをもらい、カスタムも通過し、インド出国完了。
当たり前なのである。できて当たり前なのだ。しかしバングラ国境・・・、あれはいったい何だったのか。
ここで泊まってもいいなと思ったが、3時にバスがあるというので動いてしまうことに。
国境の町タムーからカレーミョまでの道も、インド側と変わらず日本軍が通ったエリアだ。最初は国境線に並行して、やがて国境と離れてほぼ平坦な道である。
舗装もされており、ハイエースは快調に飛ばしていく。およそ3時間でカレーミョに着いた。
ミャンマーのこうしたミニバスは、乗客の希望する場所まで連れて行ってくれるらしい。明らかに自宅で降りる人を見てわかった。一応目星を付けておいたホテルの名前を言うと、そこまで連れて行ってくれた。親切なシステムだ。
チントンタンホテル。25ドル、ちと高いがもう疲れて疲れてほかに探したくなく、ここに決めた。
宿の人に訊いて夕食に出る。もう真っ暗で、宿の人がバイク3ケツで送ってくれた。
送ってくれたのはちょっと高そうな店だったので、バイクから見たローカルの店に少し歩いて戻り、入ってみた。まったく英語が通じない兄さんと四苦八苦していると、食事していたお客さんが助けてくれて、何とか上の2品を注文できた。
うまいうまいうまい。インドの飯はいったい何だったのだ。
奢らせて、と言われたけど、さすがに丁重に遠慮させてもらう。
それにしてもミャンマー株は我々の中でうなぎのぼりストップ高連チャン状態だ。
本日も大変長いものを最後まで読んでいただき感謝です
本日の移動 インパールからモレー300ルピー タムーからカレーミョ4000チャット 本日の宿 チントンタンホテル 25,000チャット 昼ごはん 1000チャット 夜ごはん 2000チャット 1,000チャット=75円、49ルピーくらい
コメント
[…] 私は地図の上の方にあるインパールから南下東進して国境を越え、AH1というマークのある黄色いラインを通った。このAH1が白骨街道であるとされている。もちろん1本の道がそうであったわけではないと思うが(この辺りの話はここにある) この国境が越えられなければ、ミゾラム州に下って、ここにある国境を越えようかと思っていた。実際には越えられたので、ミゾラムには入っていない。 […]