コヒマからインパールへ 2020.01.15

コヒマもインパールも重要拠点であり激戦地であったと聞く
先にコヒマを落とした日本軍はインパールへ進撃したはずだ
しかし弾薬も食糧も尽き、敗走が始まった

 

コヒマからインパールへ、白骨街道を進む

コヒマからインパールへ行くバスは1日1本、朝7時半発と、昨夜バス駅の人に聞いた。
チケットは朝6時から発売されるらしいが、激戦が予想された。そういうのはちょっと、できれば避けたいし、明日本当に動くかどうか決めかねた。

朝起きると7時前。コヒマは寒かった。寒い上に湿気があるような、妙な物悲しさがあった。
できれば今日動いてしまいたい、先へ先へと気持ちが急くのは、一つには国境を越えられるかどうか現時点で不明だから、というのがある。もし越えられなかったら・・・、引き返し、別のルートを探さねばならない。最悪、コルカタに戻ってバングラ入りということもありえる。陸路にこだわるならば、だが。

コヒマの宿

毛布は2枚、寝袋も使ったが寒かった

動きたい。そう決めた。
ホテルを出て歩き出す。昨日は真っ暗で何も見えなかったが、やはり坂の町だ。山の斜面にへばりつくように町がある。その隙間を道路が走っている、そんな感じだ。

コヒマのバス

早朝のコヒマ、バスが走っていた

コヒマ

右側が山の上手になる

バス駅の前を通りかかるとバスがいる。もう7時半は過ぎているのだが一応訊いてみた。これがインパール行きだそうだが、やはりチケットは売り切れ。バスの周囲にいた人たちが、何とか運転手ゾーン(運転手の周りに数人乗れる)が確保できないか確認してくれたが、こちらもすでに人で埋まっている。おとなしくあきらめ、乗合スーモを探すことにした。
その辺でたむろしている男たちに訊くと、インパールならここではなく、ビューシーなる場所に行けと言われた。近くの女性警官にも訊いたが同じ答え。オートに乗れと教えてくれた。
乗合オートで30ルピー、そのスーモ溜りに行く。

コヒマ

これがその辺り

ビューシー、見晴らしポイントみたいな感じの言葉だと思うが、特に見晴らせるわけではなかった。

コヒマ

同じスーモに乗ってきた学生さんが訊いてくれている

インパールへ直接行くスーモはないらしい。多くの人が使うダイレクト便は、おそらく運行する会社に予約して、どこか決まった場所から乗るものなのだろう。宿で訊いてみればよかったが、昨夜は今日行くかどうか決めていなかったので仕方がない。今朝チェックアウトする時は無人だった。

 

コヒマから乗合スーモでインパールを目指す

コヒマ

クザマ、という町までのスーモが頻発していた

クザマ、グーグルマップで調べるとそんなに距離はない。だがそこまで行けば次へ次へとつながるだろう、何とかなると思って乗ることに。

コヒマ

屋根に荷物を積み、縛り付ける

満員になるまで待って発車。私たちは助手席に2人で乗った。
運転手側が私。ギアが足元にあり、しかもストロークが妙に長いので、特にローに入れる時には右足を上げないとぶつかる。
そのうちにコツが掴めてきて、路面が悪くなりそうだと思ったら足を上げる、ほぼ同時に運転手の左手がギアをぶち込む。ローからセカンドはそんなに上げなくても入るがやはりちょっと浮かせて協力。クザマに着くころには名残惜しいほど息もぴったりになっていた。

コヒマ

遠くにコヒマが見えている(と思う)

コヒマ

快晴、途中で暑くなってきた

道は思ったより悪くない。車の数もそれなりにある感じがする。時々舗装が剥げたダート部分になり、そういう場所でランクルのような大きな車が追い抜いていく。トラックも走っている。

クザマ到着。
スーモ溜りに着くと、すぐに待ち構えていた次のスーモに乗り換えとなる。
次は、マルゴだという。

クザマ

クザマに着いた

クザマ

山道が続く道端がスーモ溜り

クザマ

進んでいく方向

ここからのスーモでは、隣に老人が座った。英語ができる人だった。
インパールへ、ミャンマーへ行くと話すと、私たちが何のためにここに来ているのか理解したようだった。
そして、自身の胸に手を当てながら、「日本軍を誇りに思う」と言ってくれた。

戦争について、特に太平洋戦争について語ることは非常に難しい。

ただ一つだけ今言えることがあるとすれば、
物事にはいつも複数の、あるいは無数の、側面がある。少なくとも私はそう思う。
あるいはそれはこの地に散った人々が犬死であったと思いたくはないという、勝手な感情であるかもしれないが。

クザマからマルゴまではたいした距離ではない。話をしているとあっという間に着いてしまった。
車を降りて、荷物を屋根から下ろしながら運転手を探す。値段を訊かずに乗ってしまった、いつもなら先に訊くのだが、今回はみな一緒に乗り換えた感じだったので。
ご老人が運転手にお金を払っている。運転手は忙しそうなのでご老人に値段を訊くことに。
すると、「もう払ったから」と言う。瞬間意味がわからず、「自分はもう払ったよ」と言っているのかと思い、「いくらでしたか?」と訊き返してしまった。
すると同乗していた若い女性が、「彼があなたたちの分も払ったのよ」と教えてくれた。
距離からしてそんなに高額ではないとは思うが、こちらは2人だし、と思って払おうとするものの固辞なさる。
これは私たちへの好意というよりも、この地に散った方々への喜捨? のようなものなのではないか。そう思うことにし、お礼を述べた。

マルゴスーモ溜り

マルゴスーモ溜り

マルゴ

町は舗装されているところが多い

途中の道はガタガタのダートでも、集落に入ると舗装がされていることが多かった。全般的に思ったよりも道はいい。

マオゲート

これで見るとマルゴではなく、マオ・ゲートのようだ

マオゲート

籠がかっこいい。こんな人も歩いている

マオゲート

次のスーモに乗り込んだ

次はスズキマルチだ。後ろの人はさっきのご老人が次の案内係として話を付けてくれた人。ここに住んでいるという老人は、では気を付けてお行きなさいと言い残し、立ち去って行った。
スーモは満員になるまでまた少し待ち、出発した。今度はサナパティという場所に行く。地図で見るとこれが今までの最長路線になりそう。スズキマルチは悪路をそれでも必死に飛ばしていく。途中、コヒマからインパールへ向かうと思われるバスを抜いた。朝見たバスだろう。途中で降りる人があれば、次の町で乗れる可能性がゼロではないな、と思いつつ揺られる。

サナパティ

サナパティ到着

大きな町だ。このスーモ、オート溜まりで降ろされた。
乗っていた人のすべてが、「インパール行きはあっち、バスだよ」と教えてくれる。ちょうど反対側にバスが停まっている。急いで道を渡り、運転手に訊いてみるが、「席がないから無理」と断られる。バスは出発してしまった。

スーモ溜りに戻り、スーモは行かないのか訊いてみたがここから先は行かないと。バスに乗ればいいと言われるが、席がないのだからしょうがない。
と言っているところに見覚えのあるカラーリングのバスが。コヒマ発のバスだろう。またまた反対側に走って行き、止めようとするも手を振ってダメダメと行ってしまう。もう1台来たが、それも行ってしまう。

満席で行ってしまうバス

これはあかんではないか。もしかして今日はここで泊まり?

と、1台の空バスが来た。見ればフロントガラスに「インパール」と英語で書いてある。バスは路肩に停車し、人を乗せ始めた。私たちも急いで乗り込む。
このバス、インパールとセナパティという町の間を往復する中距離路線バスのようで、朝1番が5時半、最終が3時半と車内に英語で貼ってあった。これがあるからもうスーモの出番はないのだろう。それで行かないと言われたわけだ。

セナパティ

よかったバスが来た

セナパティ

サナパティ(以下セナパティ)

泊まれるところもありそうではあるが、探してはいないのでわからない。

バスはあちこちで停まり、降ろしたり乗せたりしながら走る。ノンストップで走る長距離路線よりは時間がかかったと思うが、それでもかなりスピードを出して走ったと思う。
山道が終わり、広い川が流れる平野に下りた。下りたと思ったらもうそこから上がることはなく、つまりそこがインパール平野の端っこだったのだろう。

コヒマからインパールを目指した日本軍は、この平野を、沃野を、目にしただろうか。
あるいは山中で何もかも尽き、東へ、ミャンマーを目指して撤退を開始したのだろうか。


地図右側、グレーの太い実線がミャンマー国境だ。コヒマとインパールの中間あたりにsenapatiセナパティの文字が見える。ここまでを3台のスーモを乗り継いで進んだことになる。

 

インパールに到着

何となく目星を付けておいたホテルに歩いて向かう。オートが声をかけてくるが、150とか吹っ掛けるので無視する。
ホテルには幸い部屋もあり、チェックイン。
今日も長い移動だった。

それでも、思いがけず細切れで移動したことは、却ってよかったと思う。要塞インパールへ向けて、当時の日本軍もじりじりと交戦しながら進んだのではないかと思うからだ。道中いろいろな出来事もあった。

白骨街道は1本の道ではないだろう。各地に展開していた日本軍が総崩れとなり、後は各々落ち延びるしかなかったのではないか。街道を歩いていれば容易に敵に見つかってしまうから、ジャングルの中を歩きもしただろう。部隊としての体をなしている間は、撤退路を作りながら集団で退いて行けたかもしれない。死体を道標にして、後続部隊が落ちて行ったという記録も何かで見た。しかしどんどん斃れていけば団体行動は難しかったに違いない。迷い、何かを避け、ジャングルを彷徨った兵も多かったろう。
現在このアジアハイウェイ1号線が白骨街道と称されているが、この一帯の山のすべてが、日本兵の遺骨を抱いている無数の白骨街道なのだというのが現在の私の認識である。

安倍総理が訪問するはずだったと聞く記念館がインパールにある。
しかし私はここには行かなかった。
記念館があると思われるレッドヒルは激戦地であり、ここで亡くなった将兵は多い。祈るためには好適な場所だと思う。
けれど足を運ぶ気持ちにならなかった。
説明は難しい(自分に対しても言語化できない)。

 

本日の移動 コヒマ~クザマ80 ~マオ・ゲート? ~セナパティ120 ~インパール80 本日の宿 忘れた 900ルピー 夜ごはん 300ルピー

 

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