インパールからミャンマーへ国境を越える 2020.01.16

2020年3月24日

もはやこの一帯はすべて激戦地であり、撤退路である
インパール作戦で命を落とした日本将兵は3万人を超えると言われる
遺体はおろか遺骨も遺品も戻らなかった人が大多数であろう
そういうエリアを行く、旅する

 

もしも出国できなかったら

バングラデシュ国境を越えようとした時に、「e-visaは陸路国境を通過できない」と言われ、インドを出ることができなかったことは既に書いた。
e-visaは、入国に関しては空路と海路に限定され、入国できるポートも決まっている。我々は事前に指定した通りにアメダバードで入国、ビザスタンプももらっている。
e-visaについては、かなり情報が錯綜しているようだ。私は大使館の記載を信じた。陸路でモレーからミャンマーへ出国できる、とそこには記されていたからだ。しかし同じように記されていたMahadhipurから、出国できなかった。これは伝聞ではなく紛れもなく自分に起きた事実であった。

モレーからも出国できないかもしれない。

そう考えるのが普通だろう。ネットで検索しても、モレーからe-visaで出国したという実例にはぶつからなかった。e-visaは陸路では使えない、という記載には多数遭遇した。インドーネパール国境では大丈夫なようだが・・・。

出国できなかったらどうするか。
私が考えていたルートはこうだ。

モレーからインパールへ戻り、隣のミゾラム州アイザウルへ向かい、チャンパイ、ゾクワダル、でもう一つのミャンマー国境で出国トライ。
そこでもダメなら同ルートを戻り、アイザウルまたはインパールから列車または空路コルカタへ。コルカタからバングラへ入り、ダッカでインドの普通のビザを買い、陸路アガルタラの国境を越えてマニプルへ戻り、シルチャルからインパール、そして再度モレーへ。


国境線上Aがモレ―、Bがゾクダワル

今書いてみてもバカみたいなルートである。だがこうしない限り、今回のこの白骨街道の旅は終われないのだ。
これをやらなければならない可能性が、ディマプールにいた時点で6~7割だと踏んでいた。だから先を急ぐしかなかった。
本来、ナガランド、マニプールは最近になって完全開放されたエリアであり、時間をかけて旅したかった。グワハティで許可証を取り、アルナチャルプラデシュ州にも入る予定だった。今回はあきらめざるを得なかった。

もしバングラ国境に行っていなければ。
出国に不安を持たず、予定どおりに動いたかもしれない。
旅はこんなことも含めて、おもしろいのかもしれない。そう思うしかないわけでもあるのだが。

 

インパール平野から山道を国境モレーへ

インパール滞在は1晩。ホテル周辺以外どこにも行っていない。有名な市場にも行っていない。
今回はそれらすべてを横に置いて、とにかく国境を目指す。

宿の近くに国境行のスーモ乗り場がある。早朝、そこへ行ってみると車数台とドライバーが数人たむろしていた。既に若い女性2人が乗っている車を選ぶ。もっと乗せるかと思ったが、4人で出発となる。時間は7時半頃だった。
料金は1人300ルピー。スズキマルチの状態もよく、バンバン飛ばしていく。

インパール
早朝のインパール
インパール
物資満載のバイク
インパール
大平野である。靄がかかっていた
インパール
途中の小さな町
インパール
ナガの布を巻いた人もちらほら見かけた
インパール
収穫後の水田が広がっていた

日本のそれと違うのは、刈り取る高さだ。日本だとかなり地際で刈り取るが、こちらでは30センチくらい上で刈り取る。だから中途半端な高さで株がずらっと並んで見える。

インパール
ガバメントバス、国境まで行くのだろうか
インパール
運転手さん

車はやがて平野から山に向かって登り始める。

インパール
平野の終わり、山地の始まり
インパール
あちこちで道路の拡幅工事が行われていた
インパール
大型の重機も入っている
インパール
小さな村を通過する
インパール
桜のような花が咲いていた

山のあちこちに、ソメイヨシノより濃いピンク色の花をつけた桜のような木があった。
今までどのエリアでも見なかった花だ。もともとこの地域にある樹木なのか、それとも持ち込まれたのだろうか。
街道沿いの家には時折ブーゲンビリアが南国らしい鮮やかなピンク色で咲き誇っている。

辺り一帯、目に入る場所のすべてが、おそらく誰かの墓所であろう。
もうダメだ、ここで終わりだ。そう思った最期の時に、せめて近くで花の一つも咲いていただろうか、そうであってほしいと思いながら桜を見た。

 

道は少しずつ国境・モレーに近づいて行く

インパール
道は大半が未舗装である、たまに渋滞する。向こうから来るオートの無茶積みぶり

未舗装だが山中で湿気があるため土埃はさほどではない。乾季でこれだから、雨季の泥濘は想像するに難くない。車、牛馬、人、何が進むにせよ難渋を極めたに違いない。

モレー
チェックポスト

チェックポスト到着。パスポートがチェックされる。
日本人とわかると軍人は大喜びでウェルカムウェルカムと連発した。
パスポート番号とビザ番号が記録され、パスポートのコピーも提出した。友好的な兵隊だったので、山側の写真を撮ってもいいかと訊くと快諾してもらえた。

モレー
チェックポスト裏から見晴らす峩々たる山並み
モレー
山を削り道が造られている
モレー
山が連なる
モレー
このような山を越え谷を越えて撤退していったのだ
モレー
仮設のような橋を渡る
モレー
悪路が続く
モレー
牛が道路で寝ていた
モレー
トラックが横転していた
モレー
道端の家
モレー
モレーは近い

モレーまでの間のチェックポストは計5か所だったと思う。そのうちパスポートコピーを出したのは3か所。ほかはチェックのみだった。パスポートコピーは5セット用意していたが、足りてよかった。
国境が近づくにつれて兵隊の数が多くなる。道端にも普通に立っていて警戒している。カメラを出すのがまずく思え、かばんにしまう。

 

モレー到着

モレー
モレー到着

国境の村、モレーに着いた。スーモ溜りで降ろされる。ここから先、国境のイミグレへはオートに乗り換えるか徒歩になる。オートは一律1人100ルピーだそうだ。

モレー
モレーの町中
モレー
服屋

一緒に来た女性2人は、モレーに買い物に来たと言っていた。いいものが安く買えると。ミャンマーから入ってくるものがあるのだろう。
因みにこの2人によると、モレーからインパールへの乗合スーモは500ルピーだそうだ。

イミグレの場所がわからず、オートに乗ると橋に連れて行かれ、あっちだよと言う。
いやいやこれはもう国境だろう、インドを出国せずにミャンマーに入るのはまずい。インドのイミグレに行ってくれ、とかいろいろあって、変な方向からインド側イミグレへ入った。
つまりこのへんゆるゆるなので、イミグレ経由しなくても国境をうっかり越えられたりするかもしれない。ご注意を。

 

丁半博打のインド出国

さてイミグレである。
問題のインド出国である。
イミグレの立派な建物に入ると、人はほとんどおらず閑散としている。
入国・出国のカウンターが隣り合っている。その横にはマニプル州入境許可証と書かれたカウンターがあり職員が無駄に3人もいる。マニプルはこういう手続きが必要だったらしいが、我々は何も申告せずに来てしまった。まずかったかなとちょっと不安になった。

まずどこに・・・、と考えていると後ろから「こっちですよ」と英語で声がかかる。ドアの横に人がいるのに気づかなかった。謝ってパスポートを出す。

Mahadhipurでは、この段階ではねられた。
実際の出入国カウンター(そんなものはなかったと思うが)には行っていない。事前審査みたいなところでダメ出しを食らったのである。
ドキドキする。
係官は手元のノートにいろいろ記入している。特に問題はなさそうな雰囲気だ。やがてパスポートが返された。

第一関門は突破した。
次にいよいよ正式な審査だ。

まずオット氏が行く。コンピューターに打ち込まれる音がする。
そこで不意に係官が顔を上げ、違うよというふうに手を振る。
え、ダメなの、やっぱりダメなの???
オット氏、謝っている。見るとパスポートが私のだ。
私が代わりに前に行き、写真を撮られる。

ポンポンと、スタンプをインキ台に叩く音。
そしてパスポートにスタンプが押され、返される。
「サンキュー、サー!」
かつてのどこの国境よりも心を込めて礼を言った。

インド出国できました。

オットも無事にスタンプをもらい、カスタムも通過し、インド出国完了。
当たり前なのである。できて当たり前なのだ。しかしバングラ国境・・・、あれはいったい何だったのか。

モレー
インド側のイミグレ

出てしまった後なのでこんな角度から。ここに入る前はどんなミスも犯してはならないと緊張していたので、写真も自重していた。
イミグレを出ると、無料の国境間オートがあり、乗せてもらって先ほど見た橋を渡る。インド側は兵隊が大勢いて、写真は撮れなかった。


インパールから国境モレー、タムーを経由してカレーミョまで

 

さあミャンマーだ

ミャンマーは現在日本人に対してビザを免除する政策を実行中だ。アライバルビザが取れるとかではなく、ビザが不要なのだ。一応顔写真とパスポートコピーは用意していたが、本当に何もいらなかった。ただ入国スタンプが押されただけ。当然無料。

モレー
ミャンマー側から国境にかかる橋

当然だが、その場にいる人に許可を得て撮っている。国境はどの国も神経をとがらせているので、無断で写真を撮らない方がいい。

タムー
係官は非常にウェルカムな対応だった
タムー
ウェルカム トゥー ロード タム カレーミョ カレーワ
タムー
距離がマイル表示

国境を越えれば何か、オートやバイタクがいるだろうと思ったが、何もいなかった。歩いて行くしかないらしい。
歩き出して少しすると後ろから「タタタタタタ!」という音が聞こえてきた。振り返るとインド側から来たバイトラだ。
こちらが手を振るのと向こうが手を上げるのとほぼ同時だったと思う。

タムー
運転手の横の出っ張りに座っての写真
タムー
乗せてくれた兄さん

お金はいらないよーと言われたが、お礼に100ルピー渡した。国境を越えられたお礼だ。

タムー
タムーの町並み
タムー
英語が入る看板は珍しい、ほぼ地元語のみで読めない
タムー
タムー市場

ミャンマー側の町タムー

ミャンマーのお金を持っていないのでATMを探した。やっと見つけたが、50,000チャットしかキャッシングできないのに6,500チャットの手数料がかかると書いてある。1割以上はちょっと多すぎないか。
銀行の人に訊くと、商店でルピーと換えられるというので、そこに行って3,000ルピーをチャットにしてもらった。

そしてSIMを買う。雑貨屋みたいなところで簡単に買え、簡単にセットしてもらえた。インドとはえらい違いだ。
現地通貨を手にするとようやく生き返ったような気になる。ご飯も食べられる。

タムー
めしめし! フリーの温かいお茶がある!
タムー
飯屋の兄さんたち
タムー
シャンカオスエだと思われるものを食べる

タイでも「カオソエ(だったかな)」と呼ぶ麺料理だ。

ああ・・・・・・。
何だろうこのやすらぎ感は。
飯屋は空間が広く、テーブルが適度に並び、そのテーブルはどれもきれいに拭かれている。
足元にはゴミ箱があり、テーブルには紙が置かれている。
客はのんびりお茶を飲み、めしを食い、出て行く。
誰も怒鳴っていない、誰も威圧してこない。
道を走る車もバイクもクラクションを鳴らさない。

インドではこのすべてが、100%、手に入らないのだ。

アジアに戻った。
きつい部分は終わった。

タムー
商品が並ぶ、埃だらけなんかじゃない、きれいに管理されている
タムー
茹でとうもろこし
タムー
野菜を売る人、顔に付けているのはタナカという化粧品?
タムー
乾物
タムー
市場の中
タムー
化粧品を売る姉さん
タムー
アウンサンスー・チーさん
タムー
タイでソムタムと呼ぶサラダのようなものの屋台

 

一気にカレーミョへ

ここで泊まってもいいなと思ったが、3時にバスがあるというので動いてしまうことに。

タムー
トヨタハイエースのバンバス、定員以上は載せない
タムー
仮設に思える橋を渡る
タムー
高床の家が増えた
タムー
何が違うのか、なぜこんなに穏やかだと感じるのか
タムー
収穫したコメを干していた

国境の町タムーからカレーミョまでの道も、インド側と変わらず日本軍が通ったエリアだ。最初は国境線に並行して、やがて国境と離れてほぼ平坦な道である。
舗装もされており、ハイエースは快調に飛ばしていく。およそ3時間でカレーミョに着いた。
ミャンマーのこうしたミニバスは、乗客の希望する場所まで連れて行ってくれるらしい。明らかに自宅で降りる人を見てわかった。一応目星を付けておいたホテルの名前を言うと、そこまで連れて行ってくれた。親切なシステムだ。

チントンタンホテル。25ドル、ちと高いがもう疲れて疲れてほかに探したくなく、ここに決めた。
宿の人に訊いて夕食に出る。もう真っ暗で、宿の人がバイク3ケツで送ってくれた。

カレーミョ
シャンカオスエとフライドライスの夕食

送ってくれたのはちょっと高そうな店だったので、バイクから見たローカルの店に少し歩いて戻り、入ってみた。まったく英語が通じない兄さんと四苦八苦していると、食事していたお客さんが助けてくれて、何とか上の2品を注文できた。
うまいうまいうまい。インドの飯はいったい何だったのだ。

カレーミョ
英語が話せて、通訳してくれた。クリスチャンだそうだ

奢らせて、と言われたけど、さすがに丁重に遠慮させてもらう。
それにしてもミャンマー株は我々の中でうなぎのぼりストップ高連チャン状態だ。

カレーミョ
バス駅に寄るとこんなバスが
カレーミョ
ミャンマービール、献杯

本日も大変長いものを最後まで読んでいただき感謝です

本日の移動 インパールからモレー300ルピー タムーからカレーミョ4000チャット
本日の宿 チントンタンホテル 25,000チャット
昼ごはん 1000チャット 夜ごはん 2000チャット
1,000チャット=75円、49ルピーくらい