マンダレーからヤンゴン方向へ南下開始
でも一気に行くのは面白くない
途中で刻むとすると・・・、タウングーか?
カロー行きを断念して
マンダレーからは、最初カローへ行こうと思っていた。
カローはシャン州の町、通常はトレッキングのために訪れる人が多いと思われる。我々は今回トレッキングをするつもりは全くないのだが、一気にタウンジーというのも芸がないかと思い、カローを挟むことを考えた。
カロー、タウンジー、その後南下を開始してロイコーへ。
ロイコーから小さい町をつないで最終的に南へ下ればいい。道はどうにかつながるはずだ。
しかしカローは標高が高く、寒い(涼しい)らしい。
うーん、寒いのはいかがなものか。
できれば暑いくらいの方がいいのだが。
ということで、今回は思い切って南を目指してみることに方針を転換した。
カローなどシャン方面へ行きたかったのは、白骨街道の延長というか、最終的にタイへ逃れた兵士たちはそのあたりの山岳地帯を抜けて行ったのか、というのも漠然とあったからだ。今回、旅のメインの目的だった白骨街道は、どこで終わるのか、それも何となくだが実感してみたいと思った。
ただ、マンダレーがひとつの終点であったことはほぼ間違いないだろうと思う。ここから先、ミャンマー内で終戦を迎えた人も大勢いるし、タイへ抜けて行った人もいる。タイへ抜けたのはもともと北部、ラーショーやその辺りの中国国境近辺に展開していた部隊なのかもしれない。そのあたり、詳しいことは調べていないのでわからないが。
チェンマイの少し南、サンパートンという村に住む老人に、
「戦争末期はたくさんの日本兵が国境を越えてこの街道を歩いて来た。村の人たちは兵隊に食べ物や飲み物を売って、それは儲かったよ。そのもっと前は、山の上に竹やりを並べて、落下傘降下を防いだりしたね」
という話を聞いたことがある。
いろいろな形で、日本兵たちは終戦を迎えたのだ。
でも今回は、ここで戦をたどる旅は終わりにしたい。
いざ、南へ。
ネピドー? その先へ?
朝、早めに朝食を終えて7時半には出発。意気揚々とバス駅に向かう。例によってチケットは取っていない。
バス駅で、ネピドー行を訊く。
5時間前後で着くネピドーが、今日の第一目的地。あわよくばその先のタウングーまで、と考えていた。
しかし、ネピドー行きはここではないと言う。
バス駅は1つじゃないのだ・・・。
いまさらながら気づくアホぶり。
ではそちらのバス駅に、とオートのようなものを探すと、みんな「5,000!」と言ってくる。
おいおい、5,000って。
数日前にここまで来たバスが2,000なのに5,000ってどういうこと?
ありえんでしょ、ふざけてんの???(怒)
と、やっているところに、
「おーい、この間の日本人じゃないか、何やってんだー?
と、前回ここに着いた時にホテルまで乗ったオートの運ちゃんがやってきた。
でもその人の言い値も5,000。うーん、ほかの人の手前言えないのかな? と思い、まあいいやとその車に乗り込む。
そして走ったのだが、遠い・・・・・・。
これは遠いわ。5,000も納得かも。いや納得じゃないけど仕方ないかな。乗合などで行ければ安いのだろうが、外人にはわからないのだから仕方ない。
ようやく別のバス駅に着いた。
今写真を見たら、学生時代の先輩にちょっと似ている。
今思えば、この時に、ネピドーとだけ言えばよかったのだ。
でも、その先タウングーまでできたらつなぎたかったので、タウングー、とも伝えた。
するとタウングーまで行くというバスに連れて行かれ、そのバスはネピドー経由だと聞いたので、チケットを買った。
バスは10時発。
おそらくネピドーであれば9時発に乗れたに違いない、あるいは8時半とか。
30分遅れてようやく発車、タウングーへ
バスは・・・。
10時半に発車した。いきなり30分も遅れている。やだな・・・。
それでも走り出し、しばらく客寄せをしたあとは真面目に走り出し、2時間ちょっとくらいでメイッティーラという街に着いた。ここで高速を下りた。
余談だがメイッティーラは日本軍が大きな基地を置いたところで、ビルマ戦最期の激戦地ともいわれている場所だ。ここは通過するだけ。
街のあちこちで停まり、降ろしたり乗せたり、そして街を離れてから食事休憩になった。
1人前2,500チャット。チキンなどを頼むと高くなる。でもほかの選択肢がわからないので、未だにこの手の店は苦手だ。できれば食べずにすませたいが、まだまだ時間がかかることを考えると、食べたほうがいいかと思った。
再び走り出すバス。後ろの席のおばさん2人がマシンガントーク炸裂で、うるさい。ヘッドホンで中島みゆきを聴いて気を紛らわす。
しかしあれだ、アマゾンプライムに初めて配信されたという楽曲だが、離郷→ファイト!→進化樹→ヘッドライト・テールライト、という並びはどうだ。
うまく書けないが、どえらいな。
ふとグーグルマップで現在地を確認してみると、AH1から離れて、それにほぼ並行するように東側を走る道にいるようだ。確かにタウングーはAH1上ではないのだが、いやそれよりも、このバス、ネピドーは経由しないんじゃないか? ネピドーはAH1上にある街だからだ。
その予想は的中し、バスは二度とAH1に戻らず、ひたすらこの旧道と思われる道を行く。ネピドーにダイレクトで向かうバス、ヤンゴンに速く行きたいバスはAH1を通るだろうから、こちらの道を走るバスは貴重なのではないか。あちこちで停まり、下ろし、乗せる。ぶどうを何十箱も積み込み、バイクを積み、野菜を積み、電化製品を積む。人も乗せる。それぞれが、異様に時間がかかる。
どんどん時間が過ぎて行くが、なかなか進まない。
意味不明のロスタイムが多すぎるのだ。
ミャンマー時間ですべてが進む。これは我慢するしかないのだろうが、日も暮れてくるのでイライラしてしまうのは否めない。
結局、ネピドーにはもちろん寄らず、そのままひたすら南下して、タウングーに着いたのは夜の7時過ぎ。実走8時間半、待っていた時間も含めたら11時間近く費やしてしまった。
多分、ネピドーに直接行き、そこからタウングーへ行くバスを探して乗り換えていたら、もっと早く着いたと思う。
尤も、乗り換えるべきバスがすぐにあるかどうかはわからないし、やってみたこと以外にわかることなどないのが旅というものなのだが。
ぐるぐる詐欺、未だ健在なり
ぐるぐる詐欺、というのがある。メータータクシーでやられやすい。遠回りして料金を稼ぐあれである。私はバンコクの駅からカオサンに行くのに、チャオプラヤー川を渡られたことがある。大喧嘩した。
タウングーに着くともう真っ暗だった。何台かのサイカーというのか、バイクの横に小さな椅子が付いているのが来た。見えるところにホテルがあったので、まずは歩いて訊きに行った。30ドルだった。
ちと高い。付いてきたサイカーが、ホテルの名前を言い、20ドルだという。そのホテルは、最初に私が行こうとした宿なのだが、タウングーに着いた時点でタッチの差で「agodaでは完売」になってしまったので一旦あきらめたのだった。
予約サイトで売り切れても、実際にはあることが多いし、売り切れた部屋は23ドルというのを見ていたので、行ってみることに。
遠いという。歩いてはいけない距離だという。うーんそうかな?
実はこのタウングーに着く10分ほど前から、グーグルマップがおかしくなり、現在地がインドネシア・スラウェシ島になってしまう現象が起きており、地図が使えなかったのだ。まったく何というタイミングでそういうことが起きるのか。スラウェシじゃないし!
サイカーは5,000と言ってきた。さすがにそれはない。3,000に下げさせた。
そして走り出したサイカー、右に曲がり、右に曲がり、右に曲がり、右に曲がる。
まったく土地勘がなくてもわかるような稚拙なことをやってくれたわけである。そうして「ここだ」と降ろされたところは、乗った場所からも見えていた銀行のネオンが、ちょっと近づいただけの、要するにすぐ近くだったのには笑ってしまった。
おまけに出てきたフロントは35ドルまたは50ドルだと・・・。
お前、ぐるぐる回りやがって、わからないとでも思ったのか? 右に右にばかり曲がりやがって、どんな馬鹿でもわかるわ、ふざけんな、元の場所まで行けや!
と、久々にというかミャンマーに入って初めてブチ切れ、怒りまくった。
元の場所まで戻させて、それでもトラブルは嫌なので2,000払って立ち去らせた。ぐちゃぐちゃ言っていたが、自分のやったことくらい、わかるだろう。やがて爆音を轟かせて去って行った。おうおうそうやってせいぜいガソリンばら撒けや! と、怒りが収まらない私である。
で、結局、国道沿いの中級ホテルに泊まることになった。今回の旅でインドのマドゥライに次ぐ高値の宿だ。でもまあたまにはこういう宿も。高級宿じゃないし、と、自らを慰めつつ飯に出たが、なかなか見つからない。結局ホテルで食べることになり、中華(もどき)を食べた。
シャワーは壊れており、本来出るべきではない場所からお湯が出てくる。だが浴びられないことはなく、お湯自体は熱くていい感じだ。
夜、ゴゴゴゴと地鳴りがして、何だろうとカーテンを開けてみると、濠の向こうを貨物列車が通過していた。
なんかちょっと、「結果オーライ」やね、という気分になった。
本日の移動 タウングーまでのバス8,500チャット バス駅までのオート 7,000チャット 最後サイカー2,000チャット 本日の宿 PAN SWE THAU Hotel 45,000チャット朝食付き 昼ごはん 5,000チャット 夜ごはん 7,500チャット 1,000チャット=75円、49ルピーくらい
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