18年ぶりに訪れたミャンマーである
インドから来たせいもあるが、穏やかで静かな国に思える
小さな町カレーミョで連泊した
カレーミョの町をぶらぶら
朝、目が覚めると部屋の外で小鳥が鳴いていた。鳥のさえずりで目を覚ますなど、ずいぶん久しぶりだ。
オット氏は、雄鶏の声で目が覚めたと言っていた。
カレーミョも日本軍とは縁のある街だ。
ここに集結し、ここからまっすぐ北上してインパールを目指した部隊があった。
難路と食糧難で、この部隊も大半が還らぬ人となったと聞く。
そんなことがあったとは想像できないほど、現在のカレーミョは静かで穏やかだ。
手持ちのチャットが心もとないので、まずは銀行に。サイドカー付きのバイタクを止め、しばらく走ってからオット氏、
「貴重品ごっそり忘れた!」
バイタクに引き返してもらい、忘れ物を取りに行く。
インドの緊張が一気にほどけて、こういうミスが出るようになる。それほどインドから来るとミャンマーはもはや天国に近い国に思える。
銀行でインドルピーを換えようとしたが無理で、カードでキャッシングした。ようやく人心地になる。
近くでレストランを探す。少し歩いたところに、古びた建物の食堂があった。お客は誰もいないが、営業中のよう。注文するというよりは、既に作ってあるものを選ぶスタイルだった。
スープ状のものは、シャンヌードルにかけるのか、つけ麺みたいにするのか。店の人はつけ麺だと言っているようだが、結局かけて食べてしまった。
食堂を出て宿に向けて帰り始める。大通りを走っているのはバイクが多い。サイカー、でいいのか、バイクの横にサイドカーが付いたものがこの辺りの足らしい。
ちょうど通りかかったので止めて、バス駅まで行ってもらうことに。
どうも公共のバス駅なのか、私営のバスの集まりなのか、わからない。行き先を連呼していると何となく教えてくれるが、ほかにもあるのかどうなのか、文字がまったく読めないのでわからない。
英語を話せる人もほとんどいない。
カレーミョの列車駅
どうもこの最後の「ミョ」は、町という意味らしい。カレーで通じるのだと思う。カレーミョでもなんとか通じる。
このまま東へ向かう
カレーミョは、ミャンマーの中で比較的行きやすいマンダレーからでもバスで15時間ほどかかる場所だ。ということは行きにくい場所と言える。
ここはチンやナガの入り口でもある(玄関口か)。せっかくここにいるのだから、ナガは遠いので無理として、チンに少し入ってみようかと考えた。
ここからバスでハカという町に行けそうだ。行ってみようか・・・。
しかし、インドからずっと引きずる咳が治らない上に、時々熱もぶり返す。
今回は、ここでやめておくべきか。
ハカは標高も上がり、コヒマとはどうかわからないが少なくともここよりは寒くなる。もう寒いのは嫌だな。
今回は、ここでしんどそうなのは終わりにして、あとは東へ戻って行こう。そう決めた。
宿の近くまで戻ってくると、トラックに大勢の人が乗って発車を待っていた。
街は大きすぎず小さすぎず。道は広すぎず狭すぎず。
車もバイクも走っているが、ほかの人の動きを見ながら、自分の動きを決めている。相手の方が速いと思えば自分が待つ。
こんな当たり前のことが、インドでは見られない。インドでは誰もがとにかく自分の鼻先を前に突っ込むことしか考えていない。そしてもめ事になり、怒鳴りあい、最後はよくわからないがどちらかが折れて終わる。非生産的な無駄な時間が多い。
譲ったら負け、なのだろう。遠慮したら負け、でもあるだろう。
国境線を1本隔てただけで、どうしてこんなに違うのだろうかと、つくづく不思議に思う。
本日の移動 なし 宿 chin taung taun hotel 25,000チャット(1泊) 昼ごはん 2,000チャット 夜ごはん 300チャット
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