さて、いよいよコヒマだ
先の大戦で日本軍が到達したおそらく最西端である
コヒマから白骨街道をたどる旅が始まる
出発は朝、ディマプル駅前広場
抗生物質で叩いて、一時はだいぶよくなった咳がぶり返した。
うーんこれは・・・。
今日はコヒマへの移動だが、場合によっては車を1台貸し切りにしてしまってもいいなと考えた。人数分の料金を払えばいいはずだ。
あるいは席を買うか。4人座るところを2人にしてもらって倍払う。それがいいかな。
などと考えながらスーモ溜りに向かう。スーモは乗合タクシー(?)のこと。溜り場は列車駅の構内というか、駅前広場のような場所。
そこへ行くにはバス駅を突っ切るのが早い。ということでバス駅へ。
おや?
昨日は閉まっていたコヒマ行のチケット売り場に人がいる。
まさか? 今日はなさそうなことを言っていたのに?
訊いてみたら
「今日出るよー。時間? すぐだよすぐ!」
と、さっさと2人分の切符を切ってくれたので、行きがかり上乗ることに。
まあでもあれだ。多少時間は余分にかかるとしても、バスで空間が確保できる方が楽かもしれない。
バスは少し待っていると入ってきた。
みなチケットの席番どおりに座り、満員で9時45分に発車した。
しばらくは何事もなくバスは進んでいった。すごい渋滞と、道路工事現場の連続で遅々として進まないが、それはどの車でも同じことなので我慢できる。
舗装されている場所もなくはないが、大半はダートだ。土埃がものすごい。車内は埃で満たされる。窓も開けている人がいるし、閉まらない窓もあるだろう。どうにもならない。マスクを二重にして、さらに手ぬぐいを巻いて少しでも自分を守る。
一度、運転手が車を停め、タイヤを覗きに行った。嫌な予感がした。
さらにもう一度、今度は空気圧がチェックできそうな小屋の前で停め、何やら見ている。さらに嫌な予感が高まる。
バスは心なしか心配がちにそろりそろりと、進んで行く。
市街地を抜け、丘陵地帯に入る。
バス、壊れる
バスは橋を渡った。そこでなぜか左へ寄せて停車。
運転手が降りてやはりタイヤやらを見ながらどこかに電話をかけている。
まずい状況になっているようだ。
最悪なのは、修理屋を呼ぶこと。すぐに来るわけがないし、来てもすぐに直るとは限らない。
運転手はやがてバスを回転させて、川べりの広いところに停めて、降りて行ってしまった。
何人かはこの時点から動き始め、三々五々、別の車を停めては交渉して乗り換えて先へ進んでいった。どうやら代わりのバスが来るらしいが・・・。
バスが停まった場所には1軒のレストランのようなものがある。その隣には何やら建物。電話をかけている人たちが皆「チェックポスト」と言っているので、以前はここにチェックポストがあってナガランドへの出入境を管理していたのだと思う。
あまりにも暇で道端に座っていると、レストランの人が「食べるものもあるしトイレもあるから来れば」と言いに来てくれて、そちらに入った。注文したお茶を飲んでいると、遠くからバスが来るのが見え、ほぼ同時に運転手が店のドアを開けて「来たよ!」とうれしそうに告げてくれた。
バスが壊れたのが10時45分。代わりのバスが来たのが2時20分。なんと3時間35分も待ってしまった。
代わりのバスはちゃっかり乗客を乗せて来たが、車掌が「元の席に座ってくれ!」と連呼し、元のチケットの人が優先で座れてよかった。
コヒマ着17時半。
たった74キロの移動に8時間という記録を打ち立ててくれた。
コヒマはもう夜の闇の中だった。
闇の中のコヒマ、宿が見つからない
大抵、バス駅のような場所で降ろされたら周囲を見回せば、宿の看板の1つや2つは見つかるものである。
しかしコヒマではそれが見つからない、暗いから見えないのだろうか?
うろうろ歩き回り、人に訊いたりもするが、教えられた通りに行っても見つからない。
ようやくあった1軒は、相変わらずお湯が出ないし、そのことを事前に申告しないからイラっとする。
さらに探して歩きながら、兵隊にも訊いたりした。兵隊は駅に戻れと言う。スマホの地図には多少出ているのだが、あるはずの場所には何もない。
これはあかんね、さっきの宿に戻ろう。
と引き返し始めたところで、女性に声をかけられた。
真っ暗な中、ザックを背負った明らかに外人風の人間がうろうろしているのを見て、助け船を出さなきゃと思ってくれたらしい。
その人に着いて行くと、さっき訊いた宿に戻った。
お湯が出ないのはもう仕方ないとして、泊まることにする。
ロビーは明るいが、部屋は何とも裏さびれた宿だった。
本日の移動 ディマプルからコヒマ バス110ルピー 本日の宿 忘れた 900ルピー 夜ごはん 320ルピー
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