結局チケットが動かなかったので3泊することに
寺院の門前町は小さいながらも賑やかで飯屋も多い
案外滞在しやすい町でよかった
スリカラハスティで滞在する
大晦日は思わぬ富裕層新年パーティで過ぎて行った。
この国の格差を思い知る一夜でもあった。
雇われの司会進行役、カメラマン、音響担当はまだいいとして、料理人や掃除人は明らかにカースト違いだ。
この人たちとパーティーに参加している人たちには、まったく接点がない。
接しているのに、いないのと同じだ。
この2つの階層は決して交差することなく、一生を別々の世界で暮らすのだろう。
上の階層が落ちることはなく、下の階層が上がることはもっとない、決してない。
下剋上のない世界なのだ。生まれたそこが、一生を送るべき場所なのだ。
インドに来るたびに思うのだが、格差とはこういうものであり、貧困とはこういうものだ、と。
日本で報道されるそれは、格差なのか貧困なのか。
日本のそれには、何とかなる余地があるように思えてならない。
さて元日の夕食である。近くの小さな食堂に行った。
オット氏は昨日のパーティー会場で、女の子たちに「辛くしないでください」とこの地の言葉で書いてもらい、そのメモを大事にカバンに入れていた。いざ食堂に行き、フライドライスを注文。その際にメモを見せ、「わかった? わかった?」としつこく確認。相手も「わかったわかった」と言っていたのに、なぜか出てきたのは
ミールスじゃないか!!!
いや~、ミールスは作り置きのカレーが出てくるのだから、「辛くしないで」とかありえないのに、なんでこうなるかな。インドって。
私が食べていたのはパロタという揚げパンのようなもので、それをちぎって食べているところにご飯をもらい、えーとそうすると、ここからスプーンに切り替えるのもおかしくないか? と思って手で食べてみた。案外平気だった。そりゃ下手くそだが。
何となく、インドを旅行していて手でターリーを食べるやつが嫌いだった。
何となく、という以外に言いようがないのだが、ちょっと虫唾が走る感じがした。
ターリーだって現地の人と同じように手で食べるかっこいいオレ、的な何かが鼻についた。
今は・・・・・・。
たぶん正直どうでもよい。
年を取って丸くなったのか鈍感になったのか、それもどうでもいいや。
明けて2日、町をちょっと歩いてみる
元日は概ね静かに過ごした。咳が止まらない、空咳になってきた感じがある。一応薬は効いている模様。
薬を調べてみると、主成分はパラセタモールだった。タイでお馴染みの薬、万能薬みたいで気軽に買えるものの1つだ。それに鎮咳去痰の成分が少し配合されているらしい。1日2度と指示されたが、たぶん3度飲んでも問題ないだろう。それぞれの含有量等から考えてまったく許容範囲内だ。
1月2日、今日は夜遅くの列車に乗る予定。まる1日の時間がある。ホテルもちょっと割り引いてもらって、夜までいられるようにした。
もう荷物を預けて時間を潰すとか、出来ないわー。
スリカラハスティ、街歩きはおもしろい
基本的に、99.9999%インド・アーリア系の中にモンゴリアンが紛れ込む、びっくりするほどのアウェー感である。全員が私たちを見る、じっと見る、振り返って見る、全員に見られる、これが毎日続く。もう少し外人が行く町を廻っていれば多少は違うと思う。レーなどはここまでアウェーではない。
それも慣れてしまえば慣れたなら・・・。いや慣れないなー。さすがに住まない限り慣れることはないと思う。
そういうアウェー感もすごいのだが、南インドは割と明るくて、こっちが先に笑えば向こうも笑う確率が高いと思う。
そして、なぜかセルフィーを撮りたがる人続出、というのも面白いところだ。
道を歩いていても急に「セルフィー撮ってもいい?」と人が来る。
芸能人になった気分じゃないか。
因みにこの町で初めて見た10ルピーショップ、100ルピーショップ。どちらも面白い。
交差点に差し掛かった。車がいなくなるのを待っているとそこにいたお巡りさんが、「おいおいそこの人、あれを撮りなさい、あれを撮るべきだ、今車を止めてやるからな、ついてきなさい」と言うや、笛を吹きながら交通整理を始め、三差路の交通を止め、写真を撮れと言う。
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