1988中国シルクロードの旅(4)トルファン

2020年6月23日

トルファンのバザール。それほど人であふれているわけでもなく、どちらかと言うと閑散としていた印象が強いのだが、どうだろう。
ここで売っていたのは、ドライフルーツと固いパンと、あと何だろう。隅のほうでウイグル帽子などは売っていたか。シシカバブも焼いていた。麺の屋台も幾つかは出ていた。干した杏を荷車の荷台のような斜めにした大きな台に何層にも積み、上から水(?)をかけては下に落ちてくる水をまた掬ってはかけ、したジュースのようなものも売っていた。さすがに危なそうで手は出なかった。そうするとそれなりに店はあり、人もいただろうに、でもやっぱり、賑やかな記憶はないのだ。
ものすごく暑かった。トルファン賓館の中庭にあるぶどう棚の下は、汗みどろの旅行者で一杯だった。冷えた缶の飲み物が一番の贅沢だったが、それは実際贅沢品で、そうそう簡単に買うものではなかった。
それなのに、上の写真の男たちは、なぜこんなに厚着なのだろうか・・・。

 

バザールで麺を伸ばしているおじさん。
いわゆるラーミェン。ラーとは引っ張るという意味があるらしい。日本のようにこねたり切ったりするわけではなく、ある程度まとまった段階から両手で引っ張ってたたんで引っ張ってたたんで、1本が2本、2本が4本、4本が……、と、いつしかうどんのような麺にする。
市場の麺はこの時一度も食べなかったと思う。この時代の中国でやれ衛生面がなどと言い出したら餓死しかねないのだが、それでもあまりにもリスクが高いように感じたことは事実だ。
いや、ごめんなさい、記憶違いでした。
日記によると、私はこの麺を食べているではないか。熱い汁をかけた麺だったらしい。香菜がたっぷり入って6角。13円とか14円とか。この頃の中国の物価は、いま旅行をしている人からしたら信じられないくらいに安い。何しろ国家公務員の平均月収が100元と言われていたのである。

 


トルファンでいつも移動の時に乗っていたロバ車。チェックのシャツを着ているのは、同じホテルに泊まっていた日本の人。一緒にバザールに来て、帰るところかな。人民帽の男性が写っているが、これはロバ車の兄貴。弟はちゃっかり後ろに座っているようだ。いつも闇チェンジマネーを持ちかけてくるのだが、まぁまぁ便利でよく使った。

ある時、人民元の残りが少なくなったので、この兄貴と闇チェンをした。レートはもう覚えていないが、この頃のトルファンあたりだと、130には届かなかったのではないだろうか。成都だと150に近い数字だったと記憶している。今資料が手元にない場所で書いているので、定かではないが。
その日の夕方、ぶどう棚の下でだらだらしていると、ロバ車軍団の別の子どもたちがやってきて、「今日、姉さんと換えたワイホイね、彼は10元も儲けたよ」と言う。そりゃ、儲けがなければ始まらないし、お互い必要としてるんだからね、なんてことを彼らに言っていると、当の本人が来た。どうも遠くで、私と彼らのやり取りを見ていたらしい。ちょっと気まずそうな顔をした彼は、ついと小売部に入っていくと、やがて缶のジュースを手に出てきて、私のテーブルにそれをゴトッと置くと、一言「やるよ」と言った。そしてそのまま、振り返りもせずに通りに出て行ってしまった。
そんなことを、よく覚えている。
当時、缶入りの飲み物はずいぶん高かったことと共に。

火炎山。
ワゴン車を日本人3人+インド人1人でチャーターし、トルファン近郊の見所を回った。1人22.5元、計90元。
「あれが火炎山です」
「おおっ・・・」
で、写真を撮っただけだったと思う。

以下はベゼクリク千仏洞。

ベゼクリク千仏洞
ここはちょっと歩いた。眼下に川が流れていて、河床に広がるオアシスの緑が眩しかった。

交河故城(?)
だと思われる遺跡。ひたすら広く、ひたすら暑く、ひたすら誰もおらず。
遺跡はどこもただただ放置されていた。

高昌故城では、案内された地下室のような場所で、木の机の上にどでん! と横たえられているミイラを見た。ケースも何もなく、覆いもなく、それは本当にただそこに、どでん、と横たわっていた。

蘇公塔
「ああ」(疲れていて特に感慨もない・・・)

トルファンのバザールの外側。ロバ車と自転車しかいない。