子供も先生も先生の子供も犬も、みんな笑っている
集落に入った、と思う間もなく、左手に少し大きな建物があった。子供たちがそこで遊んでいる。学校なのかな、と思って、「ここは学校?」と普通語で聞いてみた。子供たちは「ワーッ!」と叫んで一目散に建物の方に走って行ってしまった。普通語じゃ駄目なのかな、と思った瞬間、子供たちは建物の軒下から「学校だよォ!」と叫んだ。
子供たちに手を振って、もう少し歩いて行った。後ろから自転車に乗ったおじさんがやってきた。見慣れない私たちを見て少しスピードを緩めた彼に、すかさず
「ニーハオ! このへんに、泊まれる所ははないですか」
と訊いてみた。おじさんは
「ホテルはないけどなあ、よし、俺がこの村の奴に聞いてみっぺ」
と言い、自転車を降りてそのへんの家に「おぉい、おぉい」とやりはじめた。これにはびっくりだ。
「いいんです、いいんです、歩いて帰りますから」
とおじさんに言う。おじさんは「そうかい」と、自転車にまたがった。後ろ姿に感謝の言葉をかけながら見送った。
再び学校の方に向かうと、今度は向こうから一人のおばさんがやってきた。これぞ生粋のハニ族、といった恰好をしたその女性は、糸を紡ぎながら歩いていた。小さな独楽みたいなものをくるくると回し、それで糸がどんどん紡がれていくのだ。お願いして、写真を撮らせてもらう。
学校では、二人の先生が椅子を持ち出しての歓迎ぶりだった。カイシュイ (熱湯)まで出してくれて、私たちは片言でそれでもごく普通の世間話をした。子供たちは近寄ってくるが、写真を撮ろうとするとワーッと逃げてしまう。先生は自分と子供の写真を撮ってくれ、と言った。その親子と先生たち、そして子供たちの写真も撮った。帰国後送ったのだが、無事届いたかなと気掛かりである。
後日談 この場所には1993年に再び訪れた。この学校も訪ねたが、既に二人とも別の場所に去った後で、写真が届いたかどうかはわからなかった。後任の男の先生に持参した写真を「機会があったら渡してあげて」と託してきたが……
そこを後にして、カンカン照りの道を歩き出す。田舎の道は遠い道。どこまで続く、砂利道ぞ。途中でゴムを採取している林を見たり、祠かと思って覗きに行くと井戸だったり、そんなことをしながら真夏のような陽射しの中を歩いた。
こういうのは、とてもきもちいい。バスもいいけど、歩くのもいい。1分の遅れで全てが少しずつ狂ってしまう東京、1分の違いで大騒ぎしてそのたかが1分のために何かを捨ててしまう東京、そんな世界が嘘のようだ。完全にそういうシステムから抜け出していた私たちは、別にその日対岸に帰らなくてもいいのであり、このへんで野宿してしまってもいいのであり、もっと言えば日本に帰らなくたっていいのである。こういう自由は、とてもいいものだ。
無事に最終の渡しに乗ってカンランパの町に戻ると、そろそろ夕方だった。ホテルで少し休み、夕食に出掛ける。一軒の店に入り、例によって自分で台所に入って注文する。出てきたものは、ほんとうに美味しくてびっくり。この頃は滅多に食べ物の写真など撮らなかったのだが撮ったほどだ。
ここの女主人が、途中からテーブルに参加してきた。最後に帰るときは、「明日もおいでよ」と、私の肩を抱いて送ってくれた。
市場を歩く
翌朝、また市場に行った。漢族のお姉さんから包子を買う。
竹串に刺して渡してくれるそれは、日本的に言えばヘルシーなおいしさである。ただ、砂糖入り包子というものもあり、外見では全くわからないので辛党の人は注意したほうがいい。私は甘党なので、肉か砂糖、どちらが当たっても笑っていられるのだが。そうじゃない人は可愛そうだなァ。
好物のふかしたさつまいもも売られている。売り手はタイ族の若い女性だ。籠の中を覗くと、もう殆ど残っていない。先に来ていた女性が買って行くと、残りはほぼなくなった。皆が選ばなかった小さいのがちょっと残っているだけだ。
終わっちゃったね、と売り手の女性に声をかけて立ち去ろうとすると、お姉さんは「待て待て」と言いながら残りの芋から選んだ数本を紙に包み、それを私に差し出した。私はえっ、と思い、「いくらですか?」と聞いた。しかしお姉さんは激しく手を振って、「お金はいらない」と言っているらしい。私が包みを持ってためらっていると、先に買った漢族の女性が気にして戻って来て、
「彼女はあなたにあげると言っている。あげるのだから、お金はいらない。これは残り物だから、売れる物ではないのよ」
と普通語で言った。私はありがとうと何度も言って、その場を離れた。
ミーシェン屋のベンチで、包みを開いた。思いっきり太らせた万年筆といった感じの小さなさつまいもが、4本入っていた。私はそれを合流したおじさんと学生さんに1本ずつあげ、大きい1本を屋台のおばさんにあげた。おばさんは最初遠慮したが、やがて手に取って食べてくれた。ミーシェンの辛さとさつまいもの甘さが、カンランパの思い出をさらに深いものにしてくれたようだ。
船に乗って景洪へ戻る
メコンの流れは思ったよりもきついようで、鉄の船は相当苦しみながら遡って行く。今度は午後の便なので、空は晴れ、日差しも強烈。畑にはりついて作業している人の姿も見える。とんでもない所で降りていく人たちは、一体どこまで歩いていくのだろう。
下りの倍かかって、午後4時に船は景洪に着いた。カンランパから戻ってみれば、やはり景洪は大きな町だ。
一人町はずれに逃げようと画策するおじさんを強引に賓館に連れ込み、チェックインする。このへんのいきさつは、面倒なのではぶきたいのだが、ごく簡単に言っておくと、近大の学生である通称カール君という人物が、かなり妙な奴だったのである。それで私は彼と二人になるのは避けたいなと思い、おじさんは、逃げたい所だけどこの姉ちゃんも可愛そうだし……、とずるずると3人行動にもつれこんだのである。
それはそれとして、夜は早速賓館の向かいの例の「ミェンティアオ・レストラン」に繰り出した。3人で食べるだけ食べて、値段はごくお手頃。おそらくこの頃、10元行くか行かないかではないだろうか、日記が出てきたら書き直す。このあたりは少し味つけが薄いのか、私の口にはとても合う。
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