メコンのほとりに位置する小さな町パクライ
何もないこの町だが、宿も気に入り連泊
町をぶらぶら、ラオスらしさを堪能した
パクライ街歩き
実際パクライには何もない。
人はラオスを訪れ、首都ヴィエンチャンですら「何もない」と表現したりする。パクライに来てみたらいい。何もないとはこういうことだ。
なぜかゲストハウスは何軒かある。メコンに張り出すように作られたレストランも何軒かある。どの店にも人がいるのを見たことはない。夜にはそれでも人が来る、こともある、らしく、カラオケがうるさい夜が1度あった。
それにしても本当に誰もいない。旅行者も中国人もいない。コロナウイルスのせいなのか、いつもこうなのか、さっぱりわからない。
それでも何かしら特需のような時期があったことは確かだろう。おそらく中国関連で。ずっと閉まったままの中華食堂や、まったく人けのない中華系ゲストハウスなどを見るにつけ、この人たちはどこに行ったのだろうと思う。コロナ騒ぎで一時的に帰国しているのだろうか。
そういえばここパクライは船の便もあり、ルアンプラバンやヴィエンチャンに行くこともできるらしいから、例えば欧米人ツーリストなどがその船で来ることがないこともないのかもしれない。ちょっと今の「誰もいない」風景からは想像できないが。船はいつもあるわけではなく、多分今はないと思われる(宿の人情報・あまりアテにはならない)。
因みに中国では、ホテルのことを格式の上から順に賓館、飯店、招待所と呼ぶ。賓館と飯店については好みで付けていることもあるらしく、確か上海の格式のあるプージャンは、浦江飯店だったはずだ。招待所はその2つからはぐっと下がる。以前は公的なものを指していたと思う(というか公的なものしかない町も多かったかと)。
ホテルではなくゲストハウスなので、招待所と書いたのだろう。正しいよもちろん。
もひとつ因みに言うと、ゲストハウスのことは最近は客桟と呼ぶことも多い。ゲストハウスなどという宿泊施設が存在しなかった、許可されていなかった時期に多く旅をしていた者からは、隔世の感がある。
独特の酸味がある。麺を醗酵させるらしいのでそのせいか、それともスープかな。
北タイでも好んで食べられる。たしか時期が決まっていて、今頃だったと思う。食べたこともあるが、特に記憶していないので美味しくはなかったかな。
近郷近在の村から農機具の修理などに来る人が多いのではないかと思う。ここはこの辺りでは大きな町なので。
町はずれを歩いてみる
パクライはメコンに沿うように細長く広がる町で、その両方の端っこ(の外れの外れ)にバス駅がある。ほんと嫌らしい国である。
遠いのは仕方ないのかもしれないが、1つにまとめることはできるだろうと思うのだ。
まあわざとそうしているのだから、何を言っても仕方ないが。
そんな細長い町を歩いていると、町はずれになってきた。
何もない町・パクライで、ただ宿に泊まり、食堂を探して町を歩き、カオニャオを買い、冷たいシェイクを子供らに混じって買い・・・。
そうして2日と半分が過ぎて行った。
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