生まれて初めての海外ひとり旅。その最初の地が上海だった。
片道の航空券を握り締めて、成田で飛行機に乗った(乗り込んだときはもちろんボーディングパスを握り締めてたわけだが)。
何もかも初めてで、不安に押しつぶされそうだったことだけは、強烈に覚えている。
しかも飛行機はいきなり4時間半も遅れ、機内ではズボン姿のスッチーに「要るのか要らねぇのか」といちいちすごまれ、紙パックのジュースを放り投げられ、上海到着は夜の8時過ぎ。高度を下げていく機内から下を眺めても真っ暗なばかりで、いったいどこに空港が・・・と思った瞬間に、どすんと着地した。
とにかく暗かった。
空港の建物の中も暗かった。
人がいなかった。
係員さえいないので、税関もスルーだった。かろうじて入国スタンプだけは押してもらえたが、それとて係員がどこかからかやってきて、私にスタンプを押すとまたどこかへ去っていってしまうのだった。
両替所も開いておらず、途方に暮れていると、やはりどこかからか係員が現れて替えてくれた。
それが終わると私の後方、つまり私がやってきた方向の明かりが、順番に消されていくのが見えた。
到着出口を出たロビーには、おびただしい人の群れがいた。立ちすくんだ。振り返っても誰もいない。ガラガラの中国民航に乗っていた乗客はパックツアーだったようで、既に私のほかには誰もいない。他の飛行機が到着する気配もない。それなのに、ガラス1枚隔てた向こう側、それこそが初めてのナマの中国のわけだが、そこには驚くほどの人間が群れていて、こっちを向いて誰もが大口開けてなにやら喚いている。何を言っているのかわからない。誰に言っているのかもわからない。そこに出て行くのは怖かった。ほんとうに怖かった。
ドアを開けて向こう側に出ると、大勢の人間が殺到してきて、腕を取り、荷物を掴み、前に立ちふさがり、何事かを喚き続けた。客引きなのだろうとは思ったが、今までにこのように激しい人々に取り囲まれた経験がなく、ただ怖くて何も言わず(言葉もほとんどできなかった)に突っ走った。たくさんの人が私に並行して走り、腕が相変わらず伸びてきたが、振り切った。
そしてまた一つドアを開けて向こう側に飛び出すと、そこはもう建物の外だった。真っ暗だった。ビルの周囲だけがほんのわずかに明るいだけで、5メートル離れたらもう真っ暗だった。街灯もない。案内表示もない。いや、それらはあったのかもしれないが、私の目には入らなかった。
本気で後悔した。なんでこんなところに来てしまったのだろうかと、本気で悔やんだ。悔やんだけれど遅かった。闇夜にぼんやりと浮かぶ「機場賓館」のネオン目指して闇雲に歩き、空港ホテルにたどりついた。値段など関係なく、ここに泊まるよりほかに選択肢などなかった。それほどべらぼうな金額ではなかった部屋を確保できたときは、安堵のあまり腰が抜けそうになった。
浦江飯店から見下ろす風景1988.5
で、翌日、タクシーの運転手に拾われて、連れて行ってもらったのが浦江飯店。バックパッカーでこの時期に上海に行って、ここに泊まらなかった人はいないんじゃないかというほどの、老舗中の老舗。写真は女子ドミの窓から浦江にかかる橋を見ているところ。この橋を渡ってしばらく行くと、右手から南京東路がぶつかってくる。そのあたりはバンドと呼ばれている場所で、南京東路に入ると和平飯店があった。その向かいにパン屋があって、そこのパンで食いつないだこともよーく覚えている。
初めてこの浦江飯店に泊まったこの時には、私は日本人に会わなかったのだろうか。記憶にはもうない。会って親しく話してでもいれば覚えているだろうから、会ったとしても話はしなかったのだろう。
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