ジャワ島2023 その3 スマラン

2023ジャワ島バティック三昧旅
教会だったと思う

2023年10月のインドネシア・ジャワ島の旅の3回目。

プカロンガンから列車に乗って到着したのはスマランという海沿いの街。ジャワ島の真ん中あたりの北岸にある大きな街だ。

夕暮れ時のスマラン旧市街

オランダ支配時代の建物が残る

教会だったと思う

 

ホテル近くの屋台

続く鶏祭り 何度も揚げているのかスッカスカ

後日入ったほかの店でもやはりスッカスカの鶏が出てきた。スマランはスカスカ鶏のイメージ!

大きなモールには丸亀うどんが入っていた

ランドバウトサークルの中にあった透明な橋♪

いや橋じゃなくて道だったかな。「透き通った道を 全力で走る」ってね。

1泊して翌日、町の中にあるカンポン・バティック(バティック村)と呼ばれる地区に行ってみた。

入口

ここにも鳥かごが

バティック製作工程の図

路地が気に入った

これも路地、大通りから10mくらいしか離れていない

バティックを売る店は何軒かあったものの、展示されているバティックには気持ちを惹かれず。ここは素通りとなった。

スマラン事件の絵

書いてあるように1945年10月に起きたスマラン事件を描いた壁画。オランダからも日本からも独立しようとした(実際には日本は既に敗戦していたのでやはりオランダからの独立か)インドネシア軍(?)が、武器を求めて日本軍と戦った。日本軍は武装解除されておらず、連合国軍の到着を待っている状態で、敗戦後も当地の治安責任を担っていた。インドネシア側がこの地に多数いた日本の民間人を多数殺害し、日本側は戦闘の果てにインドネシア側を制圧した、とされる。
日本は既に敗戦しており、この時ここにいた日本の軍人は正確に言えば捕虜の立場だった。その捕虜に治安を担わせ、出撃させ、多数の犠牲者を出したことについては「捕虜に対する虐待」に当たるともされている。インドネシアで敗戦後に戦病死した日本人は軍人だけで1000人以上いるのだそうだ。
インドネシアがオランダとの戦争を経て独立するのは1949年のことだった。

 

 

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