今回のチェンマイは4泊。1泊目はタニン市場の近く、お堀の北、外側かなり行った方。2泊目からはターペー通り近くの定宿に移った。リニューアルしてからは初めて。
チェンマイはやはり、中国人だらけだ。
中国人が多すぎてファランがかすんでいる。
日本人はもう絶滅した(笑)
チェックインさせてはくれないので、時間を潰すために市場へ向かった。繊維市場である。長い間、ここで仕入れをしていたから、あちこちに知り合いがいる。まずは挨拶回りだな、と汗をふきふき。
こんな案内看板が。いかに中国人が多いかわかる
ここを左に曲がって路地に入る。両側は生地屋や服屋、だったのだが、生地屋が消えている! こじゃれたいかにも中国の若い人が好きそうな服や雑貨の店になっている。6年の間にずいぶん変わったのだなあ。
Jはどうしているかな、彼も店の感じを変えたりしたのかな。と思いつつ、店をのぞいた。見知らぬ女の子が店番をしている。留守か……。まあしょっちゅう姪っ子などに店番をさせて飛び歩いている人だったから、また明日にでも来てみよう。ちょっと雰囲気が変わったが、でも正統派タイの衣装も見えたから、Jの店には間違いないと思った。
隣の、私が勝手に「華僑」と呼んでいる人の店をのぞいた。女主人がいた。コロナの時に会ったのが最後だ、あのときは「日本は酷いことになっているらしい、帰らずここに留まった方がいい」と言ってくれていたっけ。結局私は帰国したのだが。今年2度日本に遊びに行ったという彼女、京都や奈良、あと羽田のJALの見学ツアー? の写真をたくさん見せてくれた。もうお互い、商売相手じゃないとわかっている。だからするのは世間話だ。
そうそう、今隣のぞいたらJがいなくて、あれ姪っ子かね? Jの店には違いないよね? 出かけてるのかな?
と訊いてみた。彼女は驚いたような顔をして、それから言った。
彼、死んだのよ。コロナの時、ううん、コロナの後。コロナではなかったんだけど、いろいろ機能が低下して……。うん、とにかく、彼は終わっちゃった。
そんな馬鹿な。
あのJが。なんでまたそんなことに。
あんないい奴だったのに、なぜいい人から先に死んでしまうんだ……。
彼女に別れを言って店を出て日に照らされたら涙が出た。
信じられない。この町に来てももうJに会えないなんて。
ピン川まで歩いた。Jの笑顔ばかりが頭に浮かぶ。
Jとはもう25年以上前に知り合った。最初彼は露天商だった。ナガ布のスカートを売っていて、それを仕入れたのが出会いだった。その頃は年2回くらいはチェンマイに来ていた。来る度に彼はステップアップしていた。そしてついにワロロットに店を持った。私が数ヶ月チェンマイに住んだ時は、最後に彼の家に半月ほど居候させてもらったこともある。
彼はゲイで、パートナーもいた。だから私と彼らの関係は純粋に友人であり、布好き仲間だった。私がサパに行ってその布を見せに行けば彼もすぐサパに飛んだ。ラオスの布の村を教えてもらったり、ヒマラヤへの行き方を教えたり。今回も、インドネシアの島で買ったバティックで作ったスカートを、自慢しようと着ていったのにな。
彼は私より10とは言わないが少なくとも6~7歳は下だった。先に逝かれるなんて想像したこともない。何年会わずとも、ここに来れば会えるからと、何も疑わずに信じ込んでいた、いつでも会えると。
そんなことはないんだと、あらためて思い知らされた61歳のチェンマイだった。

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