カトマンズからポカラまでバス移動
実はこの年、ネパールに向かったのはエベレスト街道を歩いてみたかったからだった。しかし入ったのが9月半ばとまだ早すぎ、雨季が長引いて飛行機も飛ばないという。それなら西のポカラに行き、アンナプルナの周辺をちょろっと歩くのもいいのではないかと方針を変更した。戻ってきてエベレスト街道に行くつもりだったから、メインの荷物はカトマンズに置いて行った。
カトマンズからポカラへは、当時バスで10時間ほどかかったのではなかったか。もちろん色々な条件により12時間、15時間という話も聞いたように思う。
バスのチケットは数日前に購入していた。いわゆるツーリストバスである。朝の6時か7時に乗り場に行くと、白人を優先して乗せており有色人種は後回しだった。オーバーブッキングしたのが既にわかっていたのだと思う。私の席は他に3人の日本人とシンガポール人と共に、なかった。
英語の出来るシンガポール人が猛烈に抗議してくれて、我々は半金を受け取ることになった。そして通路に小さな風呂椅子みたいなものを置いて、そこに座って行くことに。当然ながら地獄のような10時間だった。簡易舗装の道はほぼ崩壊しており、振動と埃と暑さが襲う。疲れて居眠りしていると、ごく短時間だけ、横の席の人が代わってくれたりもした。
人種による差別はその頃もあったし今もあるだろう。アジア人がアジア人を差別することもよくある。旅をするとそういう様々なことに出くわし、様々なことを考えるようになる。
そんなこんなを経て、夕方、バスはポカラのバス駅、広い原っぱのような場所に着いた。おかしな椅子に座り続けたせいで痛む節々をだましだまし立ち上がり、バスを降りた。
その時に、北の空に見えたマチャプチャレの威容を、今も忘れることがない。夕方の時間帯は山々が膨張しているように見えることがある。その時もそうだったのだと思う。それにしても、そのように巨大なマチャプチャレを、その後私は一度も見ていない。あの時だけ、それは私に見えたのだ。……幻視だったのだろうか?
アンナプルナ・ルートを歩く
ポカラの湖に近い場所で泊ったゲストハウスは、1泊40ルピーだった。これだけ強烈に覚えている。カトマンズでは最安でも70はしたと思う。ポカラは安いなと思った。当時のネパールルピーは5円強だった。
そのポカラからトレッキングの出発点まで、当時はバスがなく、徒歩で行くか乗合のジープに乗るかだった。ジープ乗り場に行くとちょうど出発しそうなのが1台。ただし例によって席はなく、後ろにぶら下がって、である。距離もそんなにないので、そうやって移動した。
トレッキングの出発点はPhedi(だと思うがポカラからの距離がありすぎるようにも思う、もっとポカラ寄りの地点から歩き出した可能性もある、過去の記録がない状態で書いているので確認して訂正するかもしれない)、ポカラから黄色いラインを辿った最初の赤い小さな点の場所だ。ここから緑のルートをたどってランドルン~ガンドルン~ゴレパニへ。プーンヒルで風景を堪能してからジョムソン方向に進んでタトパニへ。ここで折り返して今度はガンドルンへは出ずにそのままナウダンダ(?)まで歩き、ポカラに戻った。
始めはアンナプルナ内院へのコース、途中からジョムソン街道に入ったことになる。
歩き出してすぐ、増水した川にぶつかったが橋が流され通れない。高い所をカゴで運ばれる選択肢もあったがさすがに怖く、応急工事が終わるのを待った。
隙間だらけの仮の橋、工事の人に最後の方は手を引いてもらって渡った。怖かった。
強盗がよく出ると噂のあったルート。ランドルンからガンドルンまでが森林地帯で危険とのことで、村の人にガイドをお願いした。左がアンナプルナ、右端がマチャプチャレ。
たぶんゴレパニ、プーンヒルの麓。こんなダウン持ってたっけかな?
当時には珍しく個室(二人)があった。
宿のカンチャと私、そしてまぁ何と典型的な、アメリカ青年
たぶんタトパニだと思う。晴れるときれい。そのへんを走り回っている鶏が美味しかった。
写真前後しているかもしれないが、おそらくゴレパニだと思う
アンナプルナ
これもアンナプルナ
マチャプチャレ
帰り道、何やらお祭り、たぶんダサイン。
初めてのヒマラヤトレッキングだったが、実はあまりよく覚えていない。ちょっと意に沿わない相手と同行してしまい、全体的につまらなかった記憶ばかりが残ってしまった。
旅の相手は大事、山の相手もとても大事(^^;
ネパールに行く、ヒマラヤに行くと言うと父親が喜んでしまい、でっかい一眼レフと望遠レンズを持って行けと盛り上がってしまった。仕方なく持って行ったはいいものの、重いこと重いこと。フィルムはネガだし(ポジフィルムなんて存在を知らなかった)、あまり大した写真は撮らなかった。あぁほんとに重かった。
カトマンズに戻る
山からポカラに戻り、数日ポカラの滞在を満喫し、カトマンズにまたバスで帰った。帰りはちゃんと自分の席があったが、夜行だったのでおそろしく寒かったのを覚えている。
何だかんだで時間が過ぎ、10月も終わりに近かったように記憶している。
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