ネパール~インド~ネパール 1988年9~12月 ①


カトマンズ イン&アウトのみの地図 地図上の青いポイントは、西がアンナプルナトレッキング、東がランタン谷トレッキング

旅の経路
成田~バンコク~カトマンズ~ポカラ~アンナプルナ・トレッキングちょこっと~カトマンズ~バラナシ~デリー~コルカタ~カトマンズ~ランタン・トレッキング~カトマンズ~バンコク~成田

旅の期間
4か月弱

旅の費用
忘れました


1988年9月・カトマンズの端、スワヤンブナートから見下ろすカトマンズの街

1988年の春から初夏にかけて中国を旅した後、いったん帰国して9月にネパールに旅立った。タイ航空機が降りたカトマンズ空港は、驚くほど小さな空港だった。今は国内線専用になっている建物が、国際線と共同だったと思う。ビザ申請窓口も建物の外の物置のような場所だったと記憶しているのだが、遠い記憶なので勝手に作り変えているかもしれない。
初めてだったので勝手がわからず、ちょうど何人かで話しながら用紙に記入していた日本人に申請書類をどこで貰ったのか聞いたのだが、薄笑いを浮かべるのみで教えてくれなかった。人が困っているのを見るのが楽しい輩もいる、とこの時学んだ。しょうがないので白人に聞き、何とか書類を貰って記入し、なんてぼやぼやしているうちに誰もいなくなり、ようやく空港の外に出たもののそこにはいるべきバスもタクシーもなく、途方に暮れた。中国で多少旅に慣れたとはいうものの、今度は共産圏ではないまったく別の国。人々の顔も彫りが深すぎて怖く、私はまさしく迷子の子どものようにそこに突っ立っていたと思う。
そんな私を救ってくれたのが、ご存知の方もいるのではないか、日本語を話すビケさん。小柄で斜視で、と聞けば「ああ」と思い出す方もあるかもしれない。私は彼に拾われてタメル地区にある老舗のカトマンズ・ゲストハウスに連れて行ってもらい、何とか部屋を確保することができた。

カトマンズは彫りの深い顔立ちのインドアーリア系の人々が多く、また、中国に比べて圧倒的に多数の外国人ツーリストがいた。ヒッピー風の人も多かった。インドとネパールを行き来していそうな、そんな雰囲気。
少しずつ動けるエリアを広げ、安いゲストハウスに移り、レストランでは「マダム」と呼ばれて面食らい、カトマンズに慣れていった。

カトマンズの中心、ダルバール・スクエア。2015年にネパールを襲った大地震でここはほぼ壊滅状態になったと思う。この画像は写真が古いせいかずいぶん赤茶けている。
この広場でチベッタンが露店を開いて、アクセサリーや怪しげな仏像などを売っていた。このすぐ横手にあるのが昔からのツーリスト街、フリーク・ストリート。ジョッチェンとも呼ぶ。この当時、既にさびれかけていたような記憶があるが、実際はどうだっただろうか。今はこのジョッチェンもどうなったのか、しばらく出かけていないのでまったくわからない。

仏教とヒンドゥー教が融合したかのような階段道が面白い、スワヤンブナート寺院。階段の両脇には、ヒンドゥーの神々が奉られていたと思う。
タメルからだと歩いても行くことができる。割と気持ちのいい散歩道。橋を渡って、のどかな田園風景の中を歩いて行った。小一時間だったか、もう少しかかったか、記憶は曖昧。

スワヤンブナートのお寺の中。ヒンドゥーっぽい。というか完全にヒンドゥーだと思う。
とすると別に仏教の寺というか建物があったのか、あるいはこのストゥーパそのものが仏教なのだから、それでいいという感じなのかもしれない。

それにしても、こんな風に出遭ったカトマンズ、大していいとも好きだとも思わなかったこの街に、その後十数回も足を運ぶことになろうとは、本当に不思議だと自分でも思う。

自分もすっかり年を取り、旅の回数だけはいっちょまえに重ねている。どこかの空港に降り立つ時、陸路の国境を越える時、自分一人でテンパってしまわずに少し周囲を見渡すように心がけている。初めてで勝手がわからず困っている人がいないだろうかと。
今は歳を取ったのでそんなことはないが、若い頃はとにかく年長の日本人男にバカにされ見下されあほ扱いされたものだ。21世紀に入って20年以上が過ぎた現在では、ネットやスマホの爆発的な普及で、「勝手がわからずまごまごする」なんていうことそのものがなくなっているのかもしれない。詳細に画像付きでこっちへ行って~あっちへ行って~右へ曲がって~と教えてくれるページもあるだろう。それでも、周囲を見回す。あの日の自分がそこにいるかもしれないのでね。