バリのイカットを探しに行く

ジャワ島からバリ島へは飛行機で飛ぶのがいちばん簡単で楽だが、チケットの購入がわずらわしかったのでバスと船を乗り継いでいくことに。
トゥバンを朝出て昼前にスラバヤに到着。すぐにチケットを購入したが夕方発だったので延々と時間つぶし。暑い。
ようやくバスが出発。港のあるバニュワンギまでが遠い。夜中にフェリーに乗り、乗客はフェリーの座席に移り、バリ島到着。再びバスに乗り込み、明け方の5時過ぎにデンパサールに到着した。ほぼ13時間かかったと思う。

今となっては何を撮ったのかもわからない・・・。他の船なのか、あるいは港だろうか。
トゥバンのホテルを8時頃に出発して、21時間? 長い移動だった。

 

バリのイカットを見に行く

バリではまずウブドゥに宿を取った。中国人観光客がものすごく多い。中国人相手の店も多い。世界は変わったなと思う。

バリでは公共の交通機関があまりないので、タクシーをチャーターして織りの村シドメンへ向かった。
タクシーの運転手もまったく知らないらしく、道行く人に訊きながら進む。ようやく工房らしき場所にたどり着く。

淡いピンク系の縦糸に、薄いブルーの横糸。縦横色違いのシャンブレーになる。そこに絣の模様が織り込まれる。絣でシャンブレーの生地になるわけだ。タイあたりでもよく見かける生地の感じ。

こちらはシック系

きれいな絣模様だ。若い女性に似合うサロンになりそうだ

この工房では織りは女性、括りは男性が担当していた。竹の枠にぴっちりと張られた糸を模様通りに括っていく。括った場所は染まらない。何色にも染め分けるから、括る箇所はとても多く、1色染めるたびにどこかをほどき、していくのだろうと思う。アップテンポの曲がラジカセからガンガン流れる作業場だった。

色のついたビニールの紐で括っていく。いろんな色があるのは、何色にも染め分けるからだ。

工程途中の糸が干してあった

シドメン近くの大きな街スマラプラにある市場。ここでもたくさんのイカットやソンケットを売っている。値段もシドメンと変わらないか、むしろ安い。作っている人相手にはそんなに値段交渉できないが、売っているだけの人になら交渉ができるせいかもしれない。商売敵も多く、あっちがそうならこっちはこう! となったりもする。

 

塩を買う

帰りに少し足を延ばして海沿いの道を走ってもらい、塩を作っている場所で停めてもらった。
海水を天日干しして作る塩。

丸太をくりぬいた船の中で海水がじりじりと蒸発していく。完全に乾けば塩になる。
日本だと砂浜に撒いたりするんだっけか? その後どうするんだろう? このやり方のほうがずっと簡単な気がする。極端な高温だからできることなのかな。

 

バリ島の最後の2泊はデンパサールで。近くにある市場に通っては、よさそうなサロンを探した。殆どはプリントである。版染めのものは探すのが難しい。くっついてくる「わけわからんばばあ」も相変わらず暗躍中、「勝手にガイド」はインドもそうだが本当に迷惑だなぁ。この手の人間を排除するのが大変でひたすらわずらわしい。というのは、値段交渉して買った後、この勝手にガイドが店にマージンを要求するからだ。いくら押しのけても、近く遠くでこちらを監視している。私が去れば店に戻るのだろう。そう思うと店が提示してくる値段もマージン込みかと信用できないわけで。バリ島はこういううっとうしさと無縁ではいられない場所だった。

 

旅の終わり

バリに入り、ジャワに飛び、ジャワ島内の布の産地をいくつか巡り、再びバリに戻った今回の旅。3週間弱の駆け足の旅だったが、久しぶりのインドネシアということもあり新たな発見も多く、楽しめた。
かつては日本人のメッカだったバリが、今では中国人御用達の観光地になっており、日本からのツアーは私は見かけなかったと思う。この20年ほどの間のアジアの激変は書くまでもないが、特に中国という国の膨大な数の民が解き放たれたことの意味は大きいと思った。

私は案外ジャワ島が気に入った。観光資源もさほどなく、ムスリムであり、あまり人気のないジャワ島だが、私はムスリムの人びとが嫌いではないし、むしろバリよりも旅していて気楽だった。
またいつかジャワ島へは行きたいと思う。その時にはスマトラ島も旅してみたい。

ザック1つ担いでの旅、多くの出会いがあり、あちこちでたくさんの人に親切にしてもらった。どうもありがとう、テレマカシ。

 

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