2025中国&ベトナムの旅・5 老猛~蒙自~文山~麻栗坡

2025年4月に中国雲南省~ベトナムハザン省~中国広西壮族自治区を回る旅をしました。
今回は老勐から北上して蒙自、東進して文山、南下して麻栗坡、の大移動です。

全体の俯瞰図です。

 

蒙自から文山へ

老勐からの乗り合いタクシーは、約束通り3時間半で蒙自に到着した。
老勐から、予定通り金平に行ったとしても、次に目指したのは多分蒙自だったと思う。
蒙自は红河哈尼族彝族自治州(ハニ族・イ族の自治州)の中心地。蒙自市、である。この長い自治州名から、また、最近は高鉄という新しい鉄道が開通してその駅名が「紅河」になったことから、「紅河」と呼ばれることもある。
しかしまったく別のところに「紅河県」というものも存在するからややこしい。私は最初この紅河県に行こうかと考えており、その際には「通称・紅河、実は蒙自」ではなく、「紅河県」に行きたいのだと正確に伝えねばならんと身構えていた。実際にはここには行かなかったのだが。

車は蒙自のバス駅で停まった。

蒙自のバスターミナル

早速中に入って時刻表(行先掲示板)を眺める。今日中にもし届けば麻栗坡まで行きたいが、無理なら文山まで。しかし大きな表に文山の文字はない。

時刻表兼値段表

確かこのバス駅だったと思うのだが、「麻栗坡」の文字があって、「あ、直通がある!」と喜んでいたら、女性服務員が「それは紅河の麻栗坡、あなたが行きたいのは文山の麻栗坡」、と親切にも教えてくれた。そういえば地図上で同じ名前の場所が他にもあるなと思ったことがある。
今この看板に「麻栗坡」は見えないから、他にも看板があったのかもしれない。

それはともかく。文山に行くには、蒙自「市」バス駅に行かなければならないらしかった。ややこしい! 5キロ以上あって車で行くしかないらしい(バスはあると思う)。バス駅の前にいた三輪車みたいなやつが、「一車15元」と言うので、まぁしょうがないかと乗った。
後で考えたら既にしてぼったくり価格である。ただこの段階ではほとんど中国でタクシーに乗っておらず、相場の感覚がわからなかった、そんなもんかなと思ってしまった。
「市バス駅までいくら?」
「15元」
「15元? 高いな」
「一車15元だよ!」
というやりとりをして乗った。このへんは自分は抜かりない。
ところが到着して15元出すと、「30元だよ、1人15元」と言い出した。
この運転手のばばあは、絶対に「一車(イーチャ)」と言った。1人なら「イーガ」か「イーウェイ」である。そこを聞き間違えるはずがないし、私は被せて「一共(イーコン)15元な?」と確認している。全部で、という意味だ。それをばばあはしゃあしゃあとまぁ、言ってくるわけだ。

よくある手口ではある。もうこんなのあらゆる国で何度やられてきたことか。以前なら絶対払わない。何が何でも払わない。でも今は、もうめんどくさくなってしまう。
死ねくそばばあ(自分もばばあだが)」と心の中で毒づきながら30元叩きつける(支払う)。あの三輪車は多分それから数日の間に、どこかで溝に車輪を落としたに違いない。

市バス駅の時刻表

文山まで高速で46元、下道で36元。ここは迷わず高速の方を選ぶ。チケットを買うとバスはもう来ていて、今すぐ乗れと言う。
運転手に「トイレだけ行かせて!」と言い置いてトイレに走り、乗り込んで本当にすぐに発車した。バスは中巴と呼ばれる中型のもので、市内を出て高速に乗るまでにえらい時間がかかったが、乗ったら早かった。

この辺り特有のほこぽこ山の風景

高速の標識。硯山へもこっちから行くんだね

文山市は大きな街だ。またバス駅がいくつもあったりするのだろうなと思っていたら案の定、到着したバス駅には麻栗坡行きの文字がどこにもない。

 

ここでも暇そうな服務員が「麻栗坡? それは別の場所から出ているわよ」と教えてくれた。さらに英語を話せる人がバス駅の目の前にあるバス停まで連れて行ってくれて、「〇〇番に乗って」と教えてくれた。市内バスは2元だった。小銭で払えたからよかった。この時点では私はまだスマホ決済を使わずに現金だけで動いていた。

到着した別のバス駅

文山城南バス駅、というらしい。

時刻表、ようやく麻栗坡が出てきた

文字があまりはっきり見えなくて申し訳ないが、麻栗坡は真ん中の列の上から2番目だと思う。スマホで撮って縮小してから上げているから画像が粗くなる。古い人間は画像は必ず自分で縮小してからネットに上げるんですよ(^^; 今はそんな必要がないのかも?

広州や杭州なんかにも行けるんだ

 

私の乗る麻栗坡行きはこれ、中巴ですね

このバスもすぐに発車となった。残り90キロほど、明るいうちに着けそうだ。

 

のろのろパスポート検査

麻栗坡まで残り10キロとかそんな感じの地点で、身分証検査がありバスが停まった。公安が乗り込んでくるのかと思ったが、下車してのチェックだという。
下りてみると高速の料金所のような感じの所で、バスの横に機械があり、皆そこに身分証をかざしてチェック(というか登録?)しているようだ。自分たちもそこでパスポートをかざせばクリアできる…………わけがなかった。
そこに立っていた係官が私たちの手にしているパスポートに目を留め、
「それは何だ、お前たちは何だ」
「これはパスポートで、私たちは日本人、つまり外国人です」
「こっちへ!」
私たちは別室送りとなった。
ただ単に、パスポートの番号や名前などを記録すればすむだろうと思ったのだが、そうは問屋が下ろさなかった。
私が誰で、いつ中国に入り、どこをどうやってここまで来て、なぜここにいるのか、何の目的なのか、を、繰り返し何度も訊かれる。何度も何度も同じことを答える。
そうこうするうちに一人がパソコンに何かを記入し始める(最初からしろよ)。椅子に座らされた私たちはパソコンの画面を見ながら、なお続く質問に答えているのだが、

とにかく仕事が遅い!

打ち間違えてばかりだし、ぜんぜん先に進まない。過去のデータを持ってきてそこに私のデータを被せるだけなのに、ひたすら打ち間違える、数字間違える、英語と中国語の切り替えができなくて他の人に助けを求めに行く…………。
「私がやりましょうか」と言いたくなった、もちろん言えない。多分ここで作られた書類では、私の生年が1956年になっているはずだ(気付いたが指摘しなかった、さらに遅くなる)。
時間が刻々と過ぎてゆく。バスが気になって仕方がない。置いて行かれたら困る、荷物が乗っている。ちらちらそちらを見ている私に気付いても、
「問題ない、バスは待っている」
いやそうかもしれないけど、運転手も乗客も怒ってるでしょうが!
実際、1人の乗客が様子を見に(文句を言いに)来た。係官は「もうすぐだ、戻ってろ」とにべもない。こういう場面での中国の公安や軍の関係の人は、人民を一顧だにしない。

多分だが、小一時間かかってようやく解放された。
急いでバスに戻る。謝るのもおかしな話だ、私のせいではない。仕事の遅い公安様に文句があるなら言うてくれ。

出発したバスが麻栗坡に着いたのは、結局暗くなってからだった。参った。

 

それでは終わらぬ麻栗坡

到着したのは夜の8時近くになっており、さすがに真っ暗だった。バス駅も営業を終えており、時刻表なども見られない。道路に出て、とにかく見えている宿に行ってみることにした。

宿は多いが、また外国人がダメだと面倒なので、なるべく新しそうな場所を選んで入ってみた。訊いてみると
「うーん大丈夫だと思うけど、許可証がないからね、ちょっと電話するから待ってて」
とのこと。きれいなロビーの一角で待ってみる。ちなみに許可証と言うのは、私の側ではなく彼らの側の話で、想像だが外国人を泊めるための許可ということではないかと思う。現在、外国人がこの街を訪れるにあたって許可証という話は聞いたことがない。許可証が必要=そこは非開放ということになり、そんな場所にのこのこ行くのはまずいし、そうであればここには来られていない。
中国はそういうところがややこしいというか、昔と今とは違うはずだが今も非開放という制度はあるのだろうか。

しばらくすると公安車両が到着し、2人の男性が現れた。今回は、ちょっと嫌な感じ。感じが悪いわけではないが、好意的ではない雰囲気だ、特に年の多い方。若い人はただ従っているだけ。
いつものように、お決まりの質疑応答が始まり、こちらは淡々と答えていく。問題は何もないはずだ。隠すこともないし、ただただ正確に答えるだけ。

今朝、老勐を出てそれから……、と答えていると
「老勐? それはどこ? 西双版納の?」
「いえいえ違います、紅河県の……(正しくは金平だった)」
「にしても遠いな、包車(チャーター車)で来たの?」
「いえいえ違います、乗り合いと、あとはバスを乗り継いで」
「ふーん……」
それですむと思ったのだが、
「じゃ、行きましょうか」
「え? ど、どこへ?」
「署まで」
何と。署まで連れて行かれると。これは一体……?

荷物は宿のフロントに置いて行けばいいと言われたのでほっとしたが(少なくとも拘留されるわけではない)、ともかく立派な車の後部座席に乗せられて、我々は署に行くことになった。えらい遠かった。通報を受けてから来るまで結構時間がかかったのも無理はない遠さだった。ほとんど街はずれまで連れて行かれた。
そこでは我々は入ってすぐの所にあるベンチに座らされ、彼らが事務手続きをするのを待った。最後にもう一度、書類の確認をするために同じ質問をされ、答え、そして「宿泊許可証」なるものが発行された。ご丁寧なことに、サインと、拇印を取られた(!)。

そしてさらに何と、
「自分で帰ってね」と言われてしまう。5キロ以上あるのに? 夜遅いのに?
若い方の人が「この道を上に登ったら大きな道があるからそこで緑色のタクシーを拾ってください、7元です」と教えてくれて、とぼとぼと署を出た。
言われたとおりに行くとたしかに大きな道に出たが、夜も遅く車は見えない。それでもちょっと待っていると緑色の車が現れて、若い女性のドライバーが「町内ならどこまででも7元ですよ」と。それで無事にホテルまで送ってもらい、助かったので10元渡して「つりはいらねぇよ」と言ってみた。

やっと部屋に入れた、すごくきれいだった

疲れたわー。
寒いからエアコンをつけようと思ったら、どこにもリモコンがない。はて。テレビのリモコンは置いてあるのだが、よくよく見るとテレビはどこにもない。おかしなホテルだなきれいだけど。
仕方ないので受付まで人を呼びに行った。
すると、驚くべきことが判明した。

このホテルの照明や空調は、「アレクサ」みたいなやつが管理しているので、リモコンやスイッチがないのだそうだ。何それ、何その近未来。

こいつがその近未来発生装置

天井に向かって「シャートゥーシャートゥー!」と宿のおばちゃんが叫ぶと、何かが反応し、それに対して「エアコンをつけて」とか「何℃にして」とか「カーテンを閉めて」とか「テレビをつけて」とか言うとその通りになる。

おばちゃんがつけてくれたテレビ、西遊記をやってた

テレビは壁に映るんである!!

しかし問題はだ。
おばちゃんが去ってしまうと、テレビも消せない。私たちがどんなに
「シャートゥーシャートゥー!」
と天井に向かって叫んでも、機械はぴくりとも反応しない。
何ということだ……。
町に入って宿に泊まろうとするだけで公安署にしょっぴかれて書類を作らされ拇印を要求される町で、片方は「シャートゥーシャートゥー!」なのだ。もう、めちゃくちゃじゃないですか?

シャートゥーってなんだろう、漢字を充てたら何になるのかな。

ようやくありついた食べ物

日付が変わりそうな深夜になってようやく、食べ物にありつけた。1杯10元なり。こんな遅くまでなぜやっているのかわからない店だった。
この店、ほかに客もなく店主夫婦も暇そうなので、初めてスマホでお金を払ってみることにした。意外と簡単にできた。

テレビを消すためには主電源を落とすしかなく、結局エアコンは作動させられず、仕方なく寝た。

麻栗坡では泊まらないほうがいい、通過することをお勧めします。ここに行く人は、天保国境を越える人だと思う。中国側からもベトナム側からも、ここに泊まる必然性は全くない。まぁ、もしかしたら「外国人を泊める許可証」を持っている宿に当たれば、署にご同行はしなくてすむかもしれない、わからない。

(つづく)

 

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