2025中国&ベトナムの旅3 牛角寨~黄芽嶺

2025年4月に中国雲南省~ベトナムハザン省~中国広西壮族自治区を回る旅をしました。今回は棚田で有名な元陽新街鎮から牛角塞(正しくはタイトルの文字)、黄芽嶺と2つの村を訪ねる話です。

 

牛角寨

昆明から新街鎮に着いた翌日は、中国の農暦で寅・午・戌のいずれかの日に当たり、その日は近くの牛角塞という村で市が開かれる。ネットで得られた古い情報で、今もそうであるかはわからず新街に着いたが、街の人に訊くと「明日は市の日だ」と言うので、とりあえず行ってみることに。
とはいえバス駅からの公共バスはない。乗り合いも人が集まらず苦戦。どうやら場所が違ったらしい、牛角塞方向への乗り合いは、広場ではなくバス駅から上へ上がった所のほうが居る可能性が高そう。私は広場で探してしまったので見つからず、包車することにした。言い値80元だったのをちょっとまけてもらった。

思いがけず道はよい。車は快調に飛ばしていく。途中で大きく切り返すように上って行くところがあり、その先に牛角塞があった。

小学校では少林寺拳法をやっていた

市場への入り口付近

イ族かハニ族ではないかと思われる女性たちが野菜などを売っている。

葉物とわらびに見えるもの

豆腐もよく売られていた

トウガラシもQRコード決済で!

頭に載せるものだと思うが完全に工業製品

手仕事ではないが綺麗

刻んだタバコの葉を売っていて、試飲?なのか男性たちが一服中

ころんとした豆腐を焼いて食べるのはこの辺りどこででも

家畜売り場

豚、ニワトリ、あひる、犬……。

ザルなんかはほしいけどさすがに無理

パオズ2元、マントウ1.5元、このおばさんはスマホで払っていた

唯一、手作りの中国服を売っていた人

この布が手織りであればな~。おそらく違うと思われる。

ほんと綺麗(機械刺繍)

辛そうなもの売っていた

これは! 15年来の謎が解けたかも

昔、2009年頃だと思うが、ここからそんなに遠くない金平という山奥の町で、こんな蓑のような謎の物体を身に着けた人を見た。そこ以外では見ていない気がする。毛皮かと思ったが、これを見る限り植物系だと思われる。今でもあるんだ、そして売っているんだね。

身に着けるとこうなる

因みにこのみかん、7斤10元、つまり3.5キロで200円だった。

牛角塞はさほど大きな市ではない。だが多くの少数民族が訪れていたし商いもしていた。昔ながらの手仕事の衣服を着ている人はもういない。大量にどこかで作られたそれっぽかったり、全然それっぽくなかったり、する衣服を着ている。
あと10年もすれば、今は民族衣装を着ている人たちも消え去ってしまうだろう。若い人たちは特にルーツを表現することなく生きていると思う。

帰りは運よく乗り合いがすぐ見つかり、1人15元で新街鎮まで戻った。

 

新街鎮から黄芽嶺へ

翌日は土曜日。この日は黄芽嶺の市の日だ。黄芽嶺からさらに奥へ進むと老勐という村に出る。この老勐は日曜日が市の立つ日なので、黄芽嶺~老勐と進むことにする。

新街鎮から黄芽嶺へは乗り合いで。1人30元だった。老勐行きの車で、途中で下ろしてもらったことになる。

下ろされたのは街道、市場は右手、下った所

やってるやってる!

なだらかな丘が連なるエリアで、開放感があってよい。何だか気に入った。

化繊の毛糸が売られている

売られてゆくニワトリ

竹籠に包んであって風情がある。

家畜家禽売り場

頭に被っているのが茶系と緑系、何が違うのかな

モン族ですね

被り物を吟味中

焼きおにぎり屋さん大繁盛、みんなスマホ決済

ずらりと野菜売り

この腰当てのようなものはいいですね! 美しい紋様だと思う。

どこから運んでくる野菜なのか

この村では、昨日見かけた例の謎の蓑を背負った人は見かけなかった。代わりにこの、きれいな被り物を着けた人たちが多かった。何族になるのかな。イ族のように見えるが正確なところはわからない。

このスカートはモン族

牛角塞とだいたい同じような規模の市だったが、集っている民族に少しの違いがあってなかなかに興味深かった。
「もう手仕事の服を着ているわけではない」と、面白みを感じない人もいるかと思うが、私はそれはそれと思う派だ。確かに、もう手に入れたいと思うようなものは何もない。でも、それが時の流れというもので、それなのにまだ民族服を着ている人がいる! ことをこそ驚きたいと思う。

ある意味、「もうない」「既に失われた」ことを確かめる旅をしていると言ってもいい。それでも形を変えて残るものがまだある、ことがわかった。それがわかっただけでよかったと思うのだ。

私はこの中国南部からミャンマー・タイ・ラオス・ベトナムと続く照葉樹林文化帯が、本当に好きなのだなとあらためて思った。

市場の入り口であり出口。
道と呼べるものはこれ1本だけなので、そこらへんで待っていれば南下する車が見つかるだろうと思ったのだが、逆方向へ行く車はあっても南下する車は全然ない。しばらくウロウロしたり、人に訊いたりしたが「そっちへ行く車はもうない」としか言われない。
泊まる場所があるかどうかはわからないが、まだ午前なので今日のうちに先へ行きたい。
しばらくそうしていると、運転手らしき人が包車を持ちかけてきた。100元とか言われたら断ろうと思ったら、50元でどうかという話だった。それなら予算内と早速乗り込み、昼前には老勐に到着。百度の地図ではバス駅がありそうだったので、運転手さんに「バス駅まで行ってよ」と頼んだが、「そのすぐ先だから」と下ろされてしまった。

 

老勐で公安さんが宿に来る

とりあえずマップを見ながらバス駅に向かう。それらしき建物はない。
歩道に立っていた人に訊いてみると、「そこだよ」と三叉路を指す。「え? バス駅は?」「ないよ」とのこと。金平へ向かうバスは、町の端っこの三叉路から出る。1日2本、朝と昼前くらいだそうだ。
その人はちょうど歩道にちゃぶ台を出してお昼ご飯を食べるところだった。
「飯食った? 食っていく?」
「いえいえいえいえ、食ってないですけど、遠慮します!」
中国人が、今でも見知らぬ他人に「飯食った?」と訊くんだ! と知ってちょっと感激した。
聞いた話だが、飢えの記憶が強い中国の人々は、「飯食ったか」が挨拶代わりなのだと。訊かれた方は「もう食った」と言うのが礼儀だと。それを知らなかった若い頃の私は素直に「まだです」と答え、実際見知らぬ人と食卓を囲んだことが何度かある。

その人と別れ、最初にあった宿に行くと、「外国人はダメなの」と断られる。次にきれいめな宿に行ってみると、泊まれそうな雰囲気だったのだが、若いスタッフがどこかに電話をかけて「やっぱりウチでは泊められない」と。その時「不好意思」と言われた。恥ずかしい、という意味もあるし、ごめんなさいという意味もある。特にどうということではないんだけど、謝らない民族であるからちょっとびっくりした。
その先に歩いて行ってまた宿があり、入って訊いてみると、何と受付の人のスマホに私のパスポート写真が収まっていてびっくりした。さっきの宿から送られてきたのだという。
「大丈夫だと思うけど、いま公安の人が来るから待っていて」(!)

しばらく待っていると公安さんが2人やってきた。今は公安とは呼ばないのかな、警察? とにかく若い2人だった。
「確認をするだけなので心配いりません」
で始まり、パスポートを確認してスマホで写真を撮り、中国に入ったのがいつで、そこからどのように動いて来たか、そしてここからはどこに移動するか、を申告すると、それで宿泊OKになった。よかった。

夕方、町を歩いていると道端にバスが止まっているのを見つけた。明日の11時半に出発する金平行きだった。チケットは1人50元、5時間と言われたと思う。

この日の夜から雨になり、真夜中には土砂降りになった。天気予報では明日も雨。せっかく来たのに市がどうなるか心配しつつ寝た。

(つづく)

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