ポタラ宮殿の中をあっちへ行ったりこっちへ行ったり。人の流れについて登ったり下りたりしていて、やがて出たのが屋上広場のような場所。たしかここは白宮と言ったような・・・。
ポタラ宮殿のかなり上のほうだった。ここから先が、ダライ・ラマの居住空間だったと聞かされた記憶もある。
道端にはこんな風に物売りが。ほとんどは漢族、買っているのはチベット族。まだ人民服を着ている人も多かった。解放軍帽子をかぶっている人はさらに多かった。
上の2枚の写真は、ポタラ宮殿直下の民家で撮ったものだ。
カメラをぶら下げてポタラ宮殿に向かっていた私を、少女が見つけて走り寄り、「写真を撮ってほしい」と言った。応じると「ちょっと待ってて」というそぶりをして、家の中にかけ込み、やがてもう1人の少女と一緒に着替えて出てきた。そして撮ってあげたものが上の写真だ。
そのうちにおばあさんも現れて、じゃあみんなで1枚、ということになった。通りすがりの漢族の人がシャッターを切ってくれた上に、この人たちの住所と名前を漢字で書く手伝いもしてくれた。
帰国後、真っ先にこの人たちに写真を送ったが、返事はない。別にそれ自体は普通のことなので(海外に手紙を送るほどの余裕がある人とはあまり出会わない)気にはしないのだが、着いたのかどうかという不安はずっと持っていた。
2000年11月、実に9年ぶりにラサに行った。
この時の写真を再び焼いて行き、この家族の家を訪ねたら、強制移転させられた後だった。その近くにいた人たちにずいぶん尋ねまわり、ようやく移住した先の村の名前がわかった。タクシーでそこに行き、たしか「居民委員会」という看板がかかった事務所でこの写真を見せ、尋ねると、このおばあさんはいる、ということがわかった。親切に案内してもらって、おばあさんに写真を手渡すことができたのだが(やはり送った写真は届いていなかった)、面白かったのはそこからだ。
「この娘さんたちはお元気ですか? 写真を渡せたらうれしいのですが」
と尋ねた私に向かい、彼女はこう言ったのだ。
「さあ、この娘たちは誰だったかねぇ。遠くの村から近所に遊びに来ていた娘さんたちだったかしら、もう覚えてないわねぇ」
てっきり祖母と孫娘たち、そしてその赤ちゃんという組み合わせだと思い込んでいたので、意外だった。びっくりした。
結局、娘さんたちの行方はわからなかった。そもそも、誰であるかも彼女は思い出せなかったのだ。
ラサあちこち
許可証がなければ入ることが許されないチベット自治区であるのだが(2023年の今はどうなんだろう)、一度入ってしまうと許可証などなくてもまったく困ることはない、というのが中国の面白いところだと思う。通常、これだけ入域を厳しく制限しているのだから、たとえばラサのゲストハウス一斉抜き打ち外人狩り、夜中に全員たたき起こして「身分証!」、なんかを行っても不思議ではないと思うのだが、それはしない。少なくとも私は、そんな話を聞いたことがない。
中国は不思議な国だ。つくづくそう思う。
因みに、身分証のことを中国ではシェンフェンジャン、と言う。旅行者にとって、特にチベット圏を旅する者にとっては、聞きたくない言葉の筆頭かもしれない。
旧市街の路地で、練炭をたくさん積んだ馬車がいた。練炭、で間違いはないだろうか。円筒形の黒い炭の塊で、穴がたくさん開いていて、七輪のような物の中に入れて炊事に使う。昭和40年生まれの私には、生活の中で見た記憶はない。
ラサの7月。朝晩はやはり涼しかったと記憶しているが、火が欲しいほどではなかった。
デプン寺
デプン寺は小高い山の上にある。舗装された道路でバスに落としてもらい、あとは山道をてくてくと登っていくと、そこに入り口がある。
山道を登っている時に、反対に下りてきた人から「写真を撮って」と言われた。この人にも帰国後すぐに送ったのだが、やはり届かなかったそうだ。当時のチベットには、郵便物は届かなかった、非常に届き難かった、と考えていいだろう。
9年後、彼女は一児の母となり、同じ集落に住んでいた。また子どもと一緒に写真を撮り、送ったが、届いてはいないような気がする。
これまた面白い話がある。
上の写真の女性には再会することが出来た。その時にこの写真も手渡し、
「あなたのお父様かな、お元気ですか?」
と訊いた。
なぜなら1991年当時、彼女が私を山道から集落へと誘い、一軒の民家に入っていき、そして「撮って」と言ったのだ。
すると彼女は首をかしげてこう言った。
「あら、誰かしら? 知らない人だわ。あの集落に住んでいた人なんでしょうけれど……」
お父さんじゃないのかい!
いやびっくり。
デプン寺は全体として大きな寺になっているのだが、チベットの寺院の多くがそうであるように、小さな建物の集合体である。寺院の中は細い路地がめぐっており、どこをどう行くのが本筋なのか、すぐにわからなくなってしまう。
そんな風にして迷うでもなく迷わないでもなく歩いていた時に、山門の上からお坊さんが「おーい」と声をかけてきた。大きく腕を振って、「入ってこーい」と言っているようだ。山門の横にあった小さな入り口を背中を丸めてくぐり、中へ入るとお坊さんが待っていてくれて、案内してくれた。3階部分がいちばん重要な場所のようで、バター茶をご馳走になっている私たちのすぐ横で、尼僧が1人、いつまでもいつまでも五体投地を繰り返していた。
テプン寺を出たところで、だったと思う。僧が1人、「クチクチ」と寄ってきた。この場合の「クチクチ」というのは、どう訳すべき言葉なのだろう・・・、「喜捨を」だろうか。乞食だと「お恵みを」になるのだろうけれど。
どこかへ巡礼に行く僧なのか、あるいはどこかからか巡礼に来た僧なのか。澄んだ目をしていた。いま写真を見返しても、そう思う。
写真いろいろ
ランダムに写真を載せていく。キャプションのみ。
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